十字架を通して
同僚のトムのデスクにはガラス製の十字架が置かれていますが、それは彼と同じく癌を克服したフィルが「何事も十字架を通して見られるように」と贈ってくれたものです。十字架は神の愛と神の麗しい計画を思い出させますが、苦境にあっては神の愛よりも目下の問題に目を向けてしまいがちです。
あなたの夢は何ですか?
銀行の窓口係が高級車のシェルビー・コブラ・ロードスターの写真をデスクに貼っていました。それで「これはあなたの車ですか」と尋ねると「いいえ。これは私の夢です。この夢を叶えるために毎朝起きて仕事に来ます。いつの日か、この車を手に入れるつもりです」と言いました。
どうしても無理
山上の説教を読むと「どうしても無理!」と感じます。自分の敵を愛する(マタ5:44)、腹を立てるのは殺人と同じ(22節)、情欲は姦淫に等しい(28節)、極めつけは「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」(48節)という命令です。オズワルド・チェンバーズは、山上の説教は絶望をもたらすが、それは良いと言いました。なぜなら、絶望した時こそ、何も持たない者としてイエスに近づけるからです。
保証人はいらない
支払いを遅らせたことのある人が家や車のローンを組もうとしても、審査に通らないことがあります。信用を実績で証明できない人は、お金を貸してもらえません。そこで普通、返済能力が実証されている人を保証人に立て、契約書に共同で署名してもらいます。保証人の信用力によって、銀行やローン会社などは安心してその人にお金を貸します。
最高の贈り物
実家で休暇を過ごし、ロンドンの自宅に戻る荷造りをしていると、母が自分の指輪を持って来ました。プレゼントだと言うので「どうして?」と尋ねると、「あなた、この指輪がずっと好きだったでしょ。そろそろ似合うと思うわ。もう私の指には合わないし、私が死ぬまで待つことはないわ」と言いました。それは思いがけない贈り物でしたが、母の少し早い形見分けです。私は喜んで受け取りました。
痛みを隠す
ある教会に招かれて講演をしました。主題は、神の御前に正直になる、自分の傷を隠さない、そして神の癒しを受け取る、ということでした。話の最後に祈ろうとすると、教会の牧師が中央の通路に立ち、会衆を見つめて言いました。「私は皆さんの牧師なので、平日には皆さんの悩みや悲しみに耳を傾けます。そして日曜日になると、その辛さを隠して礼拝に集う皆さんを見て心を痛めています。」
主は私をご存じだ
夜中に160キロメートル離れた自分の村に帰ろうとしていました。神はそんな私を見ておられたでしょうか。その時の気持ちは複雑でした。私は高熱と頭痛で「主よ、あなたはここにおられるのでしょうが、とにかく私は痛いのです」と祈っていました。精根尽き果てて小さな集落の近くで車を止めました。少しすると「どうかしましたか?」と親切な人が声をかけてくれました。
不安が落ち着く
私は心配性です。ほぼ毎日心配しています。大きなことも小さなことも、何でも心配している気がします。10代の頃、両親が予定を4時間過ぎても帰宅しないと言って警察に電話したことさえあります。
よそ者がよそ者を受け入れる
私たち夫婦は夫の姉の近くに住む必要があってシアトルの郊外に引っ越しました。見知らぬ土地で家も仕事もありません。地元の教会の人が大きな借家を見つけてくれたので、そこに住み、家主に許可を得て、いくつかの部屋を留学生に間貸ししました。それから3年間、よそ者の私たちが外国人を受け入れ、一つ屋根の下で寝食を共にしました。また、家の皆で聖書勉強会を開き、大勢の留学生たちと交わりました。