最も良いもの
礼拝中、数列前にいる赤ん坊に目が留まりました。赤ん坊は父親の肩から顔をのぞかせ、目を真ん丸にして不思議そうに会衆を見ていました。赤ん坊はにっこりしたり、よだれを垂らしたり、ぽっちゃりとした指をしゃぶりますが、なぜか自分の親指は探しても見つからない様子です。この可愛い赤ちゃんが気になって、牧師の語る声は遥か遠くに聞こえました。
ここから始める
砲撃でできた穴の中に、1944年6月6日、3人の米軍将校が身を寄せ合い潜んでいました。彼らは潮に流されて、ノルマンディーのユタ・ビーチの誤った地点に上陸したのです。しかし、「ここから戦いを始める」と決意を固めました。そして、困難な地点からスタートしたのです。
サウロもダマスコでイエスと出会って窮地に陥り、決断を迫られました(使徒9:1-20)。自分の人生の、立ち位置と方向性が間違いだったことが突然明らかにされ、それまでの人生は虚しいもののように感じられました。前進には、厳しくて不快な仕事を要します。自分が引き裂いた信者の家族に、向き合うことさえあるでしょう。彼は「主よ、私はどうしたらよいのでしょう」と尋ねました(使徒22:10)。
私たちはしばしば、想定外の立場や、自分の計画でも願いでもない状況に置かれることがあります。ローンの返済に困っていたり、病気になってしまったり、罪の呵責(かしゃく)に苦しんでいる人がいるかもしれません。キリストに出会ったとき、刑務所にいても豪邸にいても、心敗れ無一文でも自分勝手な欲にまみれていても、後ろのものを忘れて、キリストに向かってひたむきに前進しなさい、というパウロの忠告に従うように聖書は勧めます(ピリ3:13-14)。キリストといっしょなら、過去は前進の妨げになりません。
本分
ピューリッツァー賞受賞の映画評論家ロジャー・イーバートを偲んで、オクラホマン紙のキング記者が書きました。「名声、栄誉、名士の仲間入り、映画界の大物たちに独占インタビューをするという夢のような環境の中で、イーバート氏は自分の本分、すなわち映画評論を忘れませんでした。彼は、人を動かす情熱と知的探究心で映画を論評しました。」
父はともにいる
孤独に苦しむ友人は、フェイスブックにこんな書き込みをしました。 「ひとりぼっちだと感じるのは、友だちがいないからじゃない。私にはたくさんの友だちがいる。話をしたり、支えたり、認めてくれる人、私のことを心にかけ心配してくれる友がいる。でも、彼らは、いつもいっしょにいるわけじゃないし、どんなときにもいてくれるわけじゃない。」
新しいもの
チャールズ・フーパーは、とうもろこし倉庫に放置されていた廃材を引き上げ、簡単な図面を描きました。そして、自分の森林からオークとポプラの木を切り倒し、それらを祖父のまさかりで苦労して製材し、その新しい材木と廃材を一本ずつ組み合わせ始めました。現在、テネシーリッジの森にあるフーパー家の丸太小屋は風情あるたたずまいで、ペンションやミュージアムとなり、チャールズのビジョン、技術、そして忍耐をたたえています。
取るに足りない
宇宙では何ということのない、太陽系の小さな惑星の上にいる70億人のうちのひとり…。それが私たちです。地球は実際、神が造られた無数の天体の中の微小な青い点にすぎません。私たちの素晴らしい地球は、宇宙という巨大なキャンバスの上では小さいほこりのようなものなのです。
暗闇に光
ペルーに行ったとき、数ある山岳地帯の洞窟のひとつを訪れました。ガイドによると、この洞窟は非常に深いのですが、約14キロメートルの深さまでは既に調査済とのことでした。私たちはこうもりや夜行性の鳥、興味深い岩石層などを見学しました。しかし、ほどなく闇に不安がかきたてられ、息が詰まりそうに感じました。地上に戻って日の光を見た時は、ほっとしました。
責任のなすりあい
今までに色々と責められたことがありました。私の罪や失敗、実力不足などのせいで、家族や友人(そして恐らく赤の他人)を悲しませたり、不安にしたり、迷惑をかけたりしたのですから、それはもっともです。一方、私の責任ではないことや、私にはどうすることもできないことなのに非難されたこともあります。
涙の贈り物
友人がお母さんを亡くしたと聞いて、電話をしました。私の母も親しかったのですが、今はふたりとも故人です。話し始めるとすぐに、様々な感情が押し寄せて来ました。別離の悲しみだけでなく、親切で愉快な彼女の人柄を偲ぶ泣き笑いの涙もありました。