キリストのかおり
子どもの頃、親友の祖父がテキサス州ロメタ近郊で牧場主をしていました。彼が用事で町に出かけると、よくついていきました。知り合いとおしゃべりをする間もそばにいて、彼がその人たちの名前や境遇を覚えているのが分かりました。彼はあちこちで立ち止まり、病気の子どもや夫婦関係の難しい人を励ましていました。ふさわしいと思えば聖書のみことばを分かち合い、祈ることもありました。私にとって忘れられない人です。信仰を押しつけることはありませんが、彼が去った後には、信仰の余韻が残っていました。
復讐しない
その人は朝一番、軽トラで畑の点検に出かけました。すると、一番遠くの畑にまたしても大量のゴミが捨てられていました。人目を盗んで不法投棄をする人がいるのです。彼は怒りで頭に血が上りました。仕方なく生ゴミ袋を回収していると、犯人の住所が印刷された封筒を見つけました。復讐する絶好のチャンスです。その夜、彼は犯人の家に行き、その庭に畑に捨てられていたゴミだけではなく、自分のゴミまでもばらまいて帰ってきました。
イエスと共に歩く
アメリカ西部のジョン・ミューア・トレイルは、累計標高差約14,000メートルのハイキング道で、川を渡り、湖や森を周回し、全長は約340キロメートル。ハイカーの必需品は、地図、防水靴、そして適切な量の食料です。全行程の踏破には約3週間かかるので、食料が多すぎれば重くて力尽きます。少なすぎれば必要な体力を保てません。
神の恵みで成長する
英国の説教者チャールズ・H・スポルジョン(1834-1892年)は全力で人生を駆け抜けました。19歳で牧師になり、まもなく千人以上の会衆に説教しました。自ら編さんした説教集は63巻にのぼり、注解書や祈りの本の執筆、慈善事業も行いました。また、毎週6冊もの本を読みました。彼は礼拝説教で「何もしないのは罪の中でも最悪の罪だ…なぜなら、他のほとんどの罪を含むから…。いまわしい怠惰よ。神よ、その罪を犯さないように助けてください」と述べました。
立派な生活態度
オーストラリアの外科医キャサリン・ハムリンについて、彼女の死亡記事を読んで初めて知りました。キャサリンは夫とともに、世界で唯一の産科瘻孔の専門病院をエチオピアに設立しました。産科瘻孔(さんかろうこう フィスチュラ)は、肉体だけでなく精神的にも大きなダメージを女性に与えます。出産によって産道に穴が出来る疾患で、発展途上国で多くみられます。キャサリンはこの病気に悩む6万人以上の女性の治療を監督したといいます。
輝く星
子どもの頃、父と家で天体観測をしました。交互に望遠鏡をのぞき、目を細めて、チラチラ光る青白い星を見つめました。熱と炎から生まれた光は、針の先ほどの大きさですが、漆黒の闇の中で鮮やかです。
忠告を聞き入れる
リンカーン大統領は、南北戦争時、ある政治家に忖度して、ひとつの連隊に移動命令を出しました。ところが、陸軍長官エドウィン・スタントンは、大統領は愚かだと言って、その命令を拒絶しました。それを聞いた大統領は「スタントンがそう言うのなら、間違いない。彼はいつも正しいから。もう少し考えてみよう」と言いました。そして、話し合いによって重大な間違いに気付き、躊躇せずに命令を撤回しました。彼は、自分の意見に固執しないことで、愚かでなかったことを証明しました。部下がとなえた異議に耳を傾け、熟慮して自分の意見を変えました。
やっかいな人々
有名人は理不尽なことを言われたりしますが、英国のテレビ番組の司会者、歴史学者のルーシー・ウォースリーも例外ではありません。彼女には軽い言語障害があって「r」の音が「w」のように聞こえます。あるとき「その話し方を何とかして欲しい。イライラして番組を最後まで見ていられない。ダレンより」とコメントされました。こんな無神経な批判をされると、辛辣な反撃をする人もいるでしょうが、ルーシーは違いました。「ダレンさん、ネットの匿名性を使って面と向かっては言わない発言をされましたね。失礼な言葉を再考してください。ルーシー」と返しました。彼女の賢い返答は、良い効果を生みました。ダレンは謝罪して二度とこのような失礼はしないと約束しました。
朝であるかのように
飛行機で時差のある土地に移動するとき、時差ボケを避けるために色々なことを試しました。そのひとつは、食事の時間を到着地の時間に合わせることです。他の乗客と一緒に機内食を食べず、映画を見たり、目を閉じて休んだりしました。着陸直前の朝食だけでは、お腹は満たされませんが、人と違うことをしたおかげで、私の体内時計は新しい時間に適応しました。