みことばを離さない
ミネソタ州で牧場を営む大叔父の家のドア枠には、厳冬にも耐える丈夫な鋳鉄の輪が付けられています。30メートル以上離れた牛舎にも、同じ輪がしっかり固定されています。大叔父は、吹雪の前には、綱を二つの輪に通し、前が見えないほどの吹雪の中でも母屋と牛舎を行き来できるようにしていました。綱をつかんでいれば、道を見失うことはありません。
ただ求める
妻が「終わった!」と嬉しそうに声を上げました。大きな仕事の原稿が仕上がったのです。進め方が分からなくて不安だったときは、神の助けを祈り求めました。SNSを通して祈りの援護を求めたこともありました。
求む:知恵
ケンが行方不明になりました。母親の110番通報で3分後に警官が駆け付け、数十メートル先で開かれていた地域のイベント会場で彼を見つけました。母親は「午後におじいちゃんと一緒に行こうね」と約束していましたが、ケンは、お気に入りのおもちゃの車に乗って出かけたのです。無事に帰宅すると、父親は賢明にも、車の電池を抜き取りました。
知恵を求める人
大学では、勉学を終えて学位を修得した学生のために、毎年、卒業式を行います。卒業証書を受け取って壇上を降りる卒業生を待っているのは、生易しい社会ではありません。学問だけでは不十分です。人生の成功は、学んだことを賢く適用できるか否かにかかっています。
みんなの意見
雑誌「ニューヨーカー」の金融ジャーナリスト、ジェームズ・スロウィッキーの著書「みんなの意見は案外正しい」という本は、ネット上で次のように紹介されていました。「問題の解決、イノベーションの育成、賢明な決断、さらには将来の予見などに関しても、大多数の意見が少数のエリートの考えよりも正しい。どれほど秀才のエリートであってもそうだという信じがたい考え方が、本当なのかどうかをスロウィッキーは検証している。」
知恵はどこで見つかるか
知恵は神聖さの表れであり美しさです。ヤコブによると、知恵は、道理にかなった柔軟性のあるものです。寛大に赦し、平和に満ち、面倒見が良いこと。ちょっと立ち寄って親切に何かをしたり、やさしい言葉をかけたりすることです。知恵は、心の底から謙虚であり、表裏がなく純粋、やさしく上品で、恵み深いことです(ヤコ3:17)。
賢い言葉
私は60歳代になった今、自分に良い影響を与えてくれた賢い先生たちを思い出します。聖書学校(大学)では旧約聖書学の教授の指導によって、聖書のみことばが臨場感をもって私の心の中で生き生きと躍動するようになりました。ギリシャ語の教授は厳しく、彼が設定する基準は非常に高かったので、私は必死で新約聖書を学びました。卒業後に派遣された教会の主幹牧師は、私が教会員の霊的成長を支えることができる牧師になるように、親身になって世話をしてくださいました。これらの先生方は、それぞれの形で、私を後押ししてくださいました。
あなたに何を与えようか
◆ ダニエル書11-12
◆ ユダ
ほとんどの民族には「三つの願いごとをかなえてあげよう」という物語があると聞いたことがあります。共通する話の筋は、ある日突然、力ある誰かが思いがけず現れて、「あなたの願いを三つかなえてあげよう」と言うというものです。このような物語があちらこちらにあるのは、人間というものは自分の力では手に入れることができないものを求めている、ということを暗示しているのではないでしょうか。