ろばに乗った王
それは、イエスにとって初めてのエルサレムではありませんでした。イエスは敬虔なユダヤ人でしたから、年3度の祭りには、エルサレムに行かれました(ルカ2:41-42、ヨハ2:13、5:1)。また、直近の3年間、そこで人を教えたり、癒やしたりされました。しかし、今日、しゅろの日曜日と呼ばれるこの日のエルサレム入城は、全く違っていました。
おしゃべりバス
オックスフォードバス会社が2019年「おしゃべりバス」を運航すると、即座に大当たりしました。そのバスには、おしゃべりをしたい人と進んで会話する相手が、会社の計らいですでに乗り込んでいます。イギリス政府の調査によると、国民の30パーセントは、誰とも会話という会話をせずに過ごす日が週1日はあるそうです。このバスは、そういう調査結果を受けて始まりました。
賢い忠告
私は仕事をしながら神学大学院に通い、当番制のチャプレンや教会の奉仕もして多忙でした。父に身体を壊すよと言われましたが、意に介しませんでした。父の世代は目標設定というものを知らないと思ったのです。私は病気にこそなりませんでしたが、心が干からびたようでうつっぽくなりました。自分を大切に思ってくれる人の忠告に耳を傾けるべきだと学びました。
神の大使館
チェコ共和国に暮らすルドミラは、夫を亡くした82歳の女性ですが、自分の家は「天の御国の大使館」だと語り、困窮したり傷ついたりしている人なら友人でも見知らぬ人でも喜んで迎えます。食事をふるまい、泊めることもあり、常に思いやりと祈り心で接します。聖霊の語りかけに頼って客人を助け、神がその人たちの祈りに応えるのを喜びます。
祈りの本質
アメリカ合衆国の大統領に就任したリンカーンの仕事は、分断された国のかじ取りでした。彼は賢い指導者で、徳の高い人だったと言われていますが、そのことも、他のことも、ある要素の上に立脚していました。彼は、自分は力不足だと心得ていました。リンカーンはこう述べています。「私は他に頼れるものはないという絶対的な確信で、何度もひざまずきました。その日、その日を乗り越えるには、私の知恵や力は、全く不十分に思えました」
シンプルに伝える
切迫した短いメールでした。「救いを求めます。イエスを知りたいのです」。家族や友人は福音になかなか心を開いてくれないのに、何と、この人は単刀直入です。私の役目は、懐疑的にならず、救いの概念、関連の聖書のみことば、信頼できる情報を提供することでした。そこからは神の領域です。神が彼の歩みを信仰によって導いてくださいます。
小さい狐
カップホルダーが小さすぎたので、パイロットはお茶をコンソールの上に置いたところ、乱気流の揺れでカップが倒れ、コントロールパネルを濡らしてエンジンが停止しました。飛行機は別の空港に無事着陸しましたが、2か月後、他の航空会社でも同じことが起こりました。製造メーカーは、大惨事を引き起こしかねない小さな見落としがあったと気付きました。3億円以上もする飛行機のカップホルダーが小さすぎたのです。
伝道の公式
ジェンは子どもの頃、日曜学校で伝道の「公式」を学びました。聖句を暗唱し、福音を伝える手順を覚え、間違えないようにドキドキしながら、友人といっしょに別の友人に試しました。そのイベントで救われた人がいたかどうか覚えていません。たぶんいなかったでしょう。それは人ではなく公式に重きを置いている感じでした。
正義とキリスト
初代ローマ皇帝、カエサル・アウグストゥス(紀元前63年~紀元14年)は、法と秩序で統治したと思われることを望みました。実際は、奴隷の搾取、軍事力、賄賂によって帝国を築きましたが、ローマ市民に「ユースティティア」、つまり一定の法秩序を与えました。国勢調査も行いました。それによって、地の果てまでを治める待望の王がベツレヘムに生まれたのです(ミカ5:2-4)。