タコスでも大丈夫
アシュトンとオースティンは聖書学校を卒業し、イエスに仕えようと志していましたが、牧師など従来型の奉仕に召されているとは感じませんでした。むしろ、世界の必要に仕えたいと思いました。ふたりは子どもの飢餓撲滅に重荷を持ち、起業する能力を神からいただいて、2014年にメキシコ料理のタコスを売り始めました。しかし、普通の店ではなく、ひとつ買って、ひとつ与える、という経営方針です。つまり、ここでタコスをひとつ買うと、栄養失調の子どもに一食食べさせるお金を寄付することになります。すでに60ヵ国以上の子どもたちを助けました。目標は子どもの飢餓撲滅です。一つひとつのタコスが、意味を持つのです。
誰のため?
メキシコのある町の沿道で、群衆が手に旗を持ち、紙吹雪を降らせて、ローマ教皇を待っていました。すると、その道の中央を小さな野良犬が歩いています。仔犬は人々の歓声に応えて笑っているかのように見えました。私は、その写真を見て大笑いしました。どんな犬にも晴舞台があってもよいかもしれません。
ランドリー・デー
コロラド州の教会の牧師、チャド・グラハムは、近隣の低所得の人の地域を車で走りながら住民のために祈りました。小さなコインランドリーを見かけて中に入ると、利用客でいっぱいでした。その時、乾燥機を使いたい人に硬貨の持ち合わせがないかと尋ねられました。それがヒントになり、グラハム師と教会の人たちは、週一で「ランドリー・デー」を始めました。教会員は硬貨と洗剤を寄付し、利用客とともに祈り、ランドリーのオーナーを支援しています。
憎しみよりも強い
母のシャロンダが殺されてから24時間もしないのに、クリスは「愛は憎しみより強い」と呟いている自分に気づきました。彼の母は、水曜日のバイブルスタディに参加していた他の8人とともに、サウスカロライナ州チャールストンの教会銃撃事件の被害者になりました。それなのに、何がこのティーンエイジャーの口に恵みに満ちた言葉をのぼらせたのでしょう。彼はキリスト者で「心を尽くしてすべての人を愛した」女性の息子でした。
よそ者を愛する
外国に転居して間もない頃、よそ者扱いをされました。夫が礼拝説教をする小さな教会で座っていると、老紳士がじろっと見て「そこをどきなさい」と言ったのです。彼の妻は詫びながらも、自分たちはいつもそこに座っていると説明しました。かなり経ってから、その教会では昔、教会員がお金を払って席を確保し、その賃料を教会財政の足しにしたと知りました。そういう背景で、誰それの席という考え方が長く受け継がれていたのです。
適切な応答
きつい言葉には傷つきます。友人の作家は、新作で5つ星と大きな賞を受賞しましたが、権威ある雑誌の書評で褒め殺しに遭いました。良く書けていると言いながら、手厳しい批判を受けたのです。彼は友人たちに「どう応答するべきだろう」と尋ねました。
ザックスの本質
ドクター・スースのお話で、「北へ行くザックスと南へ行くザックス」がいます。ふたりは鉢合わせしましたが、どちらも道を譲りません。最初のザックスは怒って「たとえこの世を停止させても」絶対に動かないと言います。一方、周りは平然と、彼らを周回する高速道路を建設しています。
危険な寄り道
保険の外交員に再度会いたいと言われ、ハーリーは、無駄な時間だと思いました。しかし、信仰の話ができるチャンスを探ろうと思い直しました。
うわさを止める
英国のケンブリッジのホーリートリニティ教会の牧師に任命されてから、チャールズ・シメオン(1759-1836年)は、何年も抵抗にさらされました。会衆の大多数はシメオンではなく、当時の副牧師を就任させたかったからです。彼らはうわさを流したり、礼拝をボイコットしたり、彼を教会堂から閉め出したりさえしました。しかし、聖霊に満たされたいと願ったシメオンは、ある原則を定め、それに従うことでゴシップに耐えました。そのひとつは、完全な真実でない限り、どんなうわさも信じないこと。もうひとつは、「別の側面から見れば、全く別の物語になると常に信じる」ことです。