神に名前をつける
クリストファー・ライト師は、著書「理解できない神」で、神に名前をつけた最初の人はハガルだと述べています。ハガルの物語は、人間の歴史を嫌になるほど正直な視点で描いています。アブラムとサライは、神から息子を与えると告げられましたが、その日から長い月日が流れました。サライはどんどん年を取り、待ちきれなくなりました。そこで、神に「手を貸そう」と、当時の慣習に頼り、夫に奴隷のハガルを与えました。
愛することを学ぶ
昔のヒット曲は「愛は世界を動かす」と歌っていますが、その一方で、愛は人を傷つきやすくします。感謝されないのに、傷つけられると分かっているのに、なぜ愛さなければならないのか、と思うときがあるかもしれません。しかし使徒パウロは、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。愛を追い求めなさい」(Ⅰコリ13:13-14:1)と、単純明快に述べています。
アバ、父よ
ゆかいな父の日のカードがありました。筋肉隆々の男性が、片手で芝刈り機を押し、もう片手で三歳ぐらいの娘の乗った子ども用の車を手慣れた様子で引っぱっています。女の子は騒音でうるさい庭で楽しそうです。こんな二刀流は少々危険かもしれませんが、これを描いた人は、父親だって仕事と子育てを両立できると言いたいのです。
どうして私が
ルツは外国人で、夫と死に別れ、貧乏でした。今日ならば、世界のほとんどの場所で、将来に希望の持てない、世間に無視されてしまう人かもしれません。
忘れられてはいない
長女のククアは、母の50歳の誕生日に集まった多くの人を前に、母は多くのことをしてくれたと語りました。子どもの頃は厳しい時代で、お金がありませんでした。シングルマザーだった母は自分を犠牲にし、大切な宝石や着物などを売ってククアを高校に行かせてくれました。どんなに苦しくても、決して自分たちを捨てなかったと彼女は涙ながらに感謝しました。
主のひとみ
赤ん坊がひきつけを起こしたので、友人夫婦は救急車を呼んで病院に駆け込みました。娘の小さな手を握り、彼女のために祈りながら、友人は自分の鼓動が速くなるのを感じました。そして我が子に対する狂おしいほどの愛は、神がどれほど自分を愛しておられるかを再認識させてくれたといいます。
神の恵みに驚く
鍵をかけ忘れた引き戸から男が忍び込んだとき、その家の奥さんはソファーで居眠りをしていました。泥棒は寝室に入って、テレビを持ち出そうとしました。すると、家の主人が目を覚まし、人影に向かって寝ぼけながら、「ハニー、ベッドへおいでよ」とささやいたのです。泥棒はうろたえ、鏡台の上にあった札束をつかんで逃げていきました。
決して見捨てられない
ロシアの作家ドストエフスキーは、「その社会の文明の程度は、刑務所に入るとわかる」と語りました。それを念頭に置いて、「世界の劣悪刑務所ワースト8」というオンライン記事を読むと、受刑者全員を独房に監禁している刑務所がありました。
深く愛されて
昔ボストンで働いていたとき、職場からグラナリー墓地が見えました。そこには、アメリカ独立宣言に署名したジョン・ハンコックやサミュエル・アダムズの墓石があり、彼らの伝令を務めた愛国者ポール・リビアの墓碑もそのそばにあります。しかし、この3人が広い墓地のどこに埋葬されているのか、今では誰にもわかりません。墓地の景観を一新したり、芝刈り機がスムーズに動けるように、多くの墓碑や墓石を何度も動かしたためです。ここには約2,300基の墓碑がありますが、実際には5千名あまりが埋葬されているといいます。死んでさえ、十分に知られない人生があるということなのでしょう。