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神が一番強い

モンゴルの武将チンギス・カン(1162年-1227年)は、無名だった頃、家族内の権力闘争で異母兄弟を殺害しました。やがて、彼の力は強大になり、アジアの太平洋沿岸から東ヨーロッパに至るまで、アレクサンダー大王よりも広大な帝国を建設しました。冷酷な将軍カン率いるモンゴル軍が進軍すると、そこには死と破壊が残されました。その破壊や略奪は、歴史上、比類ないと言ってよいものでした。

神が備える助け

漁師のスコット・トンプソンは、新月の夜、サンタバーバラ海峡で船から落ちました。必死に泳いで船を追いましたがダメでした。それで遠くの石油プラットフォームを目指して暗黒の海を泳ぎました。疲れと寒さで希望を失いかけた時、近くで水しぶきの音がしました。アザラシです。そのアザラシは、彼の体に寄り添い、軽く触れたりして、前進させてくれました。スコットは、5時間かけて泳ぎ切り、あのアザラシは、自分を助けるために遣わされた「天使」だったと語りました。

閉じた扉と聖霊の導き

長時間運転して自宅付近に来ると「通行止め」という立て看板がありました。自宅は目と鼻の先。脇をすり抜けて進みたい衝動に駆られました。しかし、道路をまたいで垂れ下がっている電線が目に入り、納得しました。もし警告を無視していたら、大変な目に遭ったでしょう。

生きる道

ジョージ・ワシントン・カーバーは1860年代、奴隷として生まれました。この病気がちの赤ん坊は、奴隷商人に誘拐され、売り飛ばされそうになりました。奴隷制度がすでに廃止されていた十代の頃、彼は、白人の集団が黒人を殺すのを目撃しました。学業成績は極めて優秀でしたが、カンザス州のハイランド大学は、肌の色を理由に彼の入学を認めませんでした。しかし、彼の信仰は、それでも揺るぎませんでした。彼が座右の銘とした聖句は、箴言3章6節です。「汝(なんぢ)すべての途󠄃(みち)にてヱホバをみとめよ さらばなんぢの途󠄃を直 (なほ)くしたまふべし 」(文語訳)

神の回答

娘が7歳だった時、「私を生んだ母さんの名前は何というの?」と尋ねました。突然の無垢な問いに動揺しました。「どうしよう。答えられない!」養子縁組の際に与えられた親の情報は、身長、体重、年齢、髪と目の色だけだったのです。私は心の中で祈りました。「主よ、何と言えばいいでしょう?」すると、私の口は「どんな名前だったらいい?」と勝手に動き、娘は「マデリン!」と、満面の笑みで答えました。「じゃあ、マデリンね!」と、私は言い、神が助けてくださったと確信しました。

キリストにある自由

その男性は、1849年、「衣類」と記された木箱(約90×75×60cm)に身を潜め、2人の協力者によって、バージニア州リッチモンドからフィラデルフィアに送られました。空気穴三つの箱の中で26時間過ごした人の名前は、ヘンリー・「ボックス(箱)」・ブラウン。奴隷制度廃止論者たちに箱から出されると、詩編40編をもとにした歌で、自由を約束する神に託した希望を表しました。後に、「もし、私のように自由を奪われた経験がないなら、自由に対する希望の力を認識することはできない。それは私にとって、決して揺るがない、まさに魂の錨(いかり)だった」と書いています。

神の求められる生き方

ケンは、同じアパートに住む移民労働者を避けていました。文化や習慣が違う人には困惑しかありません。しかし、ある日祈っていると、心の中に声がしました。「もう何年も隣人なのに、お前は一度もイエスを表していない。彼らに対する態度をよく考えなさい」

今やるべきこと

赤点は取らずに済んだ、と息子の答案を見てジェスは思いました。残業も増えた今、仕事と家事を両立させた上に、息子の勉強を見る時間はありません。彼は落ち込んで、亡き妻に話しかけました。「どうしよう。君のようにうまくやれない」

敢然と立ち向かう

アフリカの水飲み場に置かれたライブカメラの衝撃のシーンを、母が実況中継のように詳細に語ってくれたことがありました。立派な角を持ち、簡単には怯まないはずのオリックス(ウシ科の大型動物)が、勇敢で騒がしいダチョウの群れに遭遇して状況が一変。長身の先頭のダチョウが、羽を大きく広げて揺らし、大きな鳴き声を上げ、地面を踏み鳴らして突進。その気迫に押されたのか3頭が逃げ出したといいます。私は「オリックスは自分たちの角の威力に気付いていなかったんだね」と言いました。