うそは疫病
米国の詩人ダニエル・ラディンスキー は、ある詩の中で、信頼に培われた人間関係とうそで傷ついた関係を対比して、「不誠実とは、なんと残酷な行為だろう」とつづりました。ドイツの神学者で修道士のエックハルトの教えに着想を得て、 真実で愛に満ちた言葉は「日々に混ぜこまれる素晴らしいスパイス」、うそは、「大惨事を心に起こす。その心はかつて愛した人を信じられなくなる……真実を語れない人によって、疫病が広がる」と述べています。
神の愛を実践する
父親が50代で末期がんと診断され、ブランドンは両親を自宅に引き取りました。父は南国が好きでしたが、もう旅行には行けません。それで家の庭に「南国」を造ることにしました。池を作って魚を入れ、滝も作りました。砂を運び入れて海岸のようにし、バナナの木とライト、たいまつ、日よけテントも建てました。父は最期の日々、その庭を楽しみました。
裏切りからの回復
トニ・モリソンの小説にネルとスーラが登場します。二人は幼なじみでしたが、スーラは、自分勝手が募ってネルの夫を誘惑し、「私のことは考えなかったの?」というネルの問いに答えようともしませんでした。
生きた水
レンブラント作の『キリストとサマリアの女』を見た時、腰を曲げ、胸に手を当てたイエスの姿勢が印象的でした。実に謙虚な姿勢です。ユダヤ人は「サマリア人とは交際しない」(ヨハ4:9)のが通常でした。両者の関係は長い間険悪だったからです。それなのにイエスは、相手の尊厳を守り、礼儀正しく行動され、のけ者だったこの女性に温かい手を差し伸べられました(17-18節)。
神の御前で健やかに
動物学者は、食べ物を前にしたアカウミガメは、体を縦に傾け、口を開け、前肢(フリッパー)を打ち合わせ、くるくる回るという愛らしい仕草、「カメダンス」をするといいます。しかし、電波干渉があると、食べ物を察知する体内の「GPS」が不調になり、ダンスを邪魔するのだそうです。
神のもとに駆け寄ろう
エイドリアン・シマンカスは、チリのマゼラン海峡で父親とカヤックをしていましたが、あっと思った瞬間、ザトウクジラに飲み込まれてしまいました。「死ぬのだと思いました」と、24歳の青年は語ります。しかし、数秒後、クジラは彼を冷たい海に吐き出しました。彼は救命胴衣を着けていたので、水面に浮かび、父親に助けられました。
神の愛で解放される
首にかけたアホウドリ、という言葉を聞いたことがありますか。その由来は、サミュエル・コールリッジの有名な詩『老水夫の歌』にあり、まとわりつく罪悪感を意味します。詩の中で、ある水夫が無害で人懐っこいアホウドリを撃ち殺します。仲間の水夫たちは、彼の悪行で航海は呪われると考え、彼を罰しました。鳥の死骸を首にかけさせたのです。
神の赦しに倣う
以前、同僚にマッジという人がいました。料理上手で、ある時、「私の自慢のエンドウ豆とハムのスープを食べて!」と言いました。エンドウ豆は苦手だと言うと、「食べず嫌いよ」とほほ笑み、次の日、私のために作ったスープを密閉容器でくれました。翌日、「食べた?」と聞かれると「そのうち食べるよ」と答えました。再度、聞かれないことを願いましたが、彼女は翌日も翌々日も尋ね、4日目には「早く食べないと腐っちゃうわよ」と言いました。
神のもとに戻る
映画『乱暴者(あばれもの)』(1953年公開)で、暴走族グループのジャケットに記されたRの文字が「反逆者」を意味すると知った女性が、マーロン・ブランド演じるリーダーに尋ねました。「何に反逆するわけ?」彼は答えます。「さあな」