Category  |  信仰

状況に左右されない平安

爆竹がはじけたような音がして目覚めると、窓ガラスの破片が散らばっていました。ジョアンは、ひとり暮らしの不安を感じつつ、外の様子をうかがおうと起き上がりました。通りに人影はなく、侵入者の気配もありません。しかし、鏡が割れていました。警察を呼ぶと、ガス管から1センチ離れた所で弾丸が見つかりました。もしガス管に当たっていたら、彼女は死んでいたでしょう。それは後に、近所のアパートで起こった発砲事件の流れ弾だと分かりました。ジョアンは家にいることが怖くなりました。そして、心の平安を祈りました。

悲劇の記憶がお祝いに

ウエストバージニア州の小さな村で、1907年12月6日、炭鉱爆発が起こりました。360人の鉱夫が亡くなり、夫を失った250人の女性と、父を奪われた千人の子どもが残されました。歴史家たちは、彼らの追悼式が、米国の父の日のきっかけだと述べています。悲劇の記憶は記念となり、やがて、祝い事になりました。

すべてご存じの神

親友とランチをした帰り道、私は車の中で声をあげて彼女の存在を神に感謝しました。彼女は私の欠点を知っています。奇妙に見える行動や癖、過去の大失敗も知っています。それにもかかわらず、ありのままの私を受け入れてくれる友人のひとりです。それでも、私には、誰とも分かち合えない人生の物語があります。勇敢でなかったり、過度に批判的だったり、不親切だったり、陰険だったりというエピソードです。一方、神は私のすべてをご存じです。人には話せないことも自由に話せる唯一のお方です。

聖書を頼りにする

伝道者ビリー・グラハムは、かつて、聖書の全部を真実だと信じられず悩んでいました。散歩に出たある夜、木の切株に聖書を置き、ひざまずいて、「神よ、この本には理解できない事がたくさんあります」と躊躇しつつ言いました。しかし、正直に告白したことで解放されます。そして、聖書の全部を信仰で受け入れると決心しました。すぐに疑問が消えたわけではありません。しかし、己の「霊の戦い」を堂々と戦い、勝利したという実感があったと述懐しています。

生きて働く信仰

サムの父親は軍事クーデターのために亡命を余儀なくされました。収入が突然絶たれ、病気の弟の薬代に困り、私たちが何をしたというのか、と、憤まんやるかたない気持ちでした。彼らの苦境を聞いたクリスチャンが、自分の払える範囲で薬を買って届けました。家族は見知らぬ人の親切に感動しました。母親は、「今度の日曜日、家族でこの人の教会に行きましょう」と言い、サムの怒りも徐々に収まりました。そして、家族がひとり、またひとりとイエスを信じたのです。

納得できない時

プロのスポーツ選手を目指していた青年が挫折した時、「神のご計画が分からない。僕は人生を主にささげたのに!」と母親にメールしました。思いがけない挫折を経験して、「なぜなんだ?!」と心で叫んだ経験の無い人がいるでしょうか。友人に説明もなく絶交されたり、健康に気をつけていたのに病気になったり、会社が突然移転を発表したり、生活が一変するような事故に遭ったり…。

愛の本質

パンデミックによるロックダウンで、ジェリーの経営するスポーツジムは閉鎖に追い込まれ、彼は何か月も無収入でした。ある日、午後6時にジムの外で会いたいと友人からメールが届き、要件が分からないまま時間通りに行きました。すると車が何台も駐車場に入ってきました。先頭の車のドライバーが建物脇の歩道にバスケットを置くと、50台ほどの車が次々に来ました。乗っている人たちは、ジェリーに手を振ったりしながら、バスケットのところで停車し、手紙や現金を入れました。金銭を出した人も、そうでない人も、全員が彼を励ますために時間をささげたのです。

耳を傾けて

客船カルパチア号の無線通信士ハロルド・コッタムが、1912年4月15日午前12時25分に受け取ったタイタニック号の通信は、「すぐに来てくれ。氷山に座礁した」でした。彼らは現場に急行し、706名の命を救いました。後日、船長アーサー・ロストロンは米国上院の公聴会で、「すべて神の御業です。無線通信士は仕事を終え自室で着替えながらたまたま聞いていたのです。もう10分遅かったら、眠っていて、私たちが遭難を知ることはなかったでしょう」と証言しました。

誰の手にも届く

カリブ海に浮かぶエルーセラ島の「ガラスウィンドウブリッジ」では、濃紺の荒々しい大西洋とエメラルドブルーの穏やかなカリブ海が隣接し、対照的な風景が一度に楽しめます。かつては天然のアーチが特徴の細長い土地でしたが、嵐によって浸食され、それに代わって造られたこの橋は人気の観光スポットで、「地球上で最も狭い場所」と言われています。