乳飲み子の口によって
南スーダンに遣わされた宣教師のミッシェル・ペリーは、10歳の少女ヴァイオラが、木の枝をマイクに見立てて伝道者のマネをするのを見て、村の伝道集会で「説教」をさせようと考え、少女も承諾しました。ペリーは次のように述べています。「会衆の心は、とらえられた…孤児の少女が王の娘の威厳をまとって立ち、神の御国の現実を力強く語ったのだ。会衆の半数がイエスを受け入れた。」
悪い情報を除く
夫婦でニューヨークに旅行した時、雪が降りしきる中、5キロ先のキューバ料理のレストランで夕食を取ろうと思いました。タクシーを呼ぼうと、スマホにタクシー会社のアプリをダウンロードし、住所を入力すると、表示された料金は20万円近くでぎょっとしました。しかし、気を取り直してよく見ると、誤って行先を数百キロ離れた自宅にしていたことに気づきました。
FIKAの精神
隣町にFIKAという名前のカフェがあります。コーヒーとケーキで一息つこうという意味のスウェーデン語で、いつも家族、同僚、友達が一緒です。私はスウェーデン人ではありませんが、FIKAの精神が好きです。大好きなイエスの生き方の一端、つまり、みんなで食べたり、くつろいだりされたことを連想させるからです。
静かな畏敬の念
私の生活は慌ただしいと常々感じています。会議から会議に移り、折り返し電話を繰り返し、延々と続く「やる事メモ」をつぶしていきます。ある日曜日、疲労困憊で庭のハンモックに倒れ込みました。スマホは家の中、夫も子どもたちも家にいました。最初はほんの少しだけのつもりだったのに、その静けさの中には、留まりたいと思わせる数々のものがありました。きしむハンモックの穏やかな音、ラベンダーの周りを飛ぶ蜂の音、鳥の羽音も聞こえました。空は抜けるような青さで、白い雲が風に乗って流れています。
神が手を握ってくださる
ある日曜日、幼い女の子が教会の階段を下りていました。それは彼女のミッションで、可愛く勇敢な独立心の表れです。2歳ぐらいの子どもが、階段を一段一段、ひとりで下りて来て、やり遂げました。私は、この勇敢な少女の大胆な行為に笑みがこぼれました。その子が決して恐れなかったのは、彼女を見守る優しいお母さんのまなざしと、いつでも助けてくれる手があったからです。これは、先の見えない人生を歩む神の子どもたちに、いつでも手を差し伸べようと準備されている主の姿をうまく映しています。
手紙を送る
ルビーは4歳の女の子で、歌ったり踊ったり、遊んだり走ったりするのが大好きでした。ところがある日、両膝が痛くなり医者に見てもらうと、神経芽細胞腫というがんでステージ4だと診断され、直ちに入院しました。
祈りと成長
友人のデイビッドは、妻が若年性認知症になり、介護のために早期退職を余儀なくされました。時とともに妻の病状は進み、ますます生活が大変になりました。デイビッドは当初、神に対して腹を立てたと言います。「でも、祈れば祈るほど自分の姿を示された。結婚生活ですごく自分本位だったと気づいたんだ」と涙ながらに告白しました。彼は「妻の介護をして10年になるけれど、神は、物事を別の角度から見られるようにしてくださった。愛を込めた世話はすべて、妻とイエスにしていることだ。妻の介護は、私の人生に与えられた最大の特権だ」と語りました。
励まし合う
近所のジムには、健康や体力の衰えを防ぐために運動に励む人々が集い、自分も頑張ろうという気分にさせられます。壁には、お互いに批評をしないように、むしろ、互いの頑張りを励ます言動を心がけましょうと注意書きが貼ってあります。
思いやりの行動
帰宅した母が「エステラ、友だちのヘレン叔母さんからプレゼントが届いているわ」と言いました。私の家は裕福ではなかったので、郵便で贈り物が届くなど、クリスマスが二度来たようなものでした。この優しい叔母さんを通して、私は神に愛され大切にされていると感じました。