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被造物の歌

科学者たちは、宇宙の音や波動を観察することができると言います。宇宙の星は、神秘的な夜空を静かに動いているのではなく、音楽を奏でていることが発見されました。ザトウクジラの鳴き声が人に聞こえないように、星の響きも、人間の耳が捉える周波数ではありません。しかし、星の音やクジラや他の被造物の声は混じり合って、神の偉大さを告げる交響楽を奏でています。

詩篇は「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた」(19:1-4)と述べています。

新約聖書では、使徒パウロが次のような啓示を語っています。「天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの…万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです」(コロ1:16)。この啓示に応えるように、自然界の何もかもが、造り主に向かって歌います。私たちも万物といっしょに「手の幅で天を推し量」(イザ40:12)るお方の偉大さを歌いましょう。

どこに向かっているのか

人生の方向性を決めるのは何でしょう。その答えを、何と、バイクの免許取得コースで耳にしました。友人たちと一緒に免許を取りに行き「目標点凝視」と呼ばれる訓練を受けました。教官は言いました。「みなさんには予期しない障害物に出会う日が、遅かれ早かれやって来ます。そのとき、それをじっと見るなら、そのど真ん中に突っ込んでしまいます。しかし、目を上げて、その先の進むべき地点を見るなら障害物を容易に避けることができます。みなさんは、自分の見ている方向に進むのです。」

疑問があっても礼拝する

グループで旅行をしていると、誰かが「まだなの?」とか「後どれぐらい?」と尋ねることがあります。これは、どの国の人とか、大人とか子どもとかにかかわらず尋ねる質問で、そう尋ねる人は早く目的地に着きたいのです。また、患難の中で長くもがき苦しむ人も、いつになれば終わるかと、同じ質問をしがちです。

思い切れない

ラジオ番組の司会者が、いつまでも思い切れないことは何ですか、と質問すると、リスナーが電話をかけてきて、亡き妻との思い出など、家族のことを話しました。また、音楽家や母親になるなど、捨てきれない夢を語る人もありました。誰にでも心にそっとしまっている大切なものがあります。

希望の確かな基礎

信仰の教訓を思いがけない場所で得ることがあります。台所の隅に愛犬ベアが水を飲む器があります。ベアは体重50キロの黒いラブラドール・レトリバーですが、その器が空のときでも、吠えたり、いじったりしません。横に伏してじっと待っています。たまには少々長く待たなければなりませんが、やがて私が台所に来て彼を見つけ、彼の必要を満たすことを理解し、信頼することを学びました。私を単純に信じる彼の姿は、神をもっと信頼すべきことを再確認させてくれました。

ザリガニの苦境

ザリガニ釣りに誘われてワクワクしました。いとこがプラスチックのバケツをくれたので、私はにっこりしながら「ふたはないの?」と尋ねました。彼は釣り竿と餌の入った袋を持ち上げながら「必要ないよ」と言いました。理由は後で分かりました。小さなザリガニたちは、ほぼ満杯のバケツから逃げようとしますが、1匹が縁にたどり着くと、他の1匹がそれを引きずり下ろしてしまうのです。

無限の愛

ガンガン、カチカチという機械音の中に横たわり、指示されるまま息を止めました。MRIは珍しい検査ではありませんが、私は閉所恐怖症なので、気持ちを何か、否、むしろ誰かに向ける必要があります。そのとき「その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか…」(エペ3:18)というみことばが、機械のリズムに合わせて頭の中で踊り出しました。使徒パウロは、エペソの教会のために祈りつつ、神の愛の広がりが無限であることを強調しました。

主はどのようなお方か

昨年、私たちはがんで闘病中の3人の女性のために祈りました。神は癒やす力をお持ちだと知っていたので、私も友人たちも毎日祈りました。主が病気を癒やされたケースを知っていたので、今回も同じことが起こると信じていました。回復の兆しを見て喜んだ時期もありましたが、結局、秋には全員が亡くなっていました。この3人は、究極の癒やしを得たと言う人がいます。それは確かにそうです。しかし、私たちは喪失感で深く傷つきました。全員が癒やされて欲しかったのに、なぜか奇跡は起こりませんでした。

イエスの奇跡を見て、自分も何かしてもらおうとついて行った人がいました(ヨハ6:2、26)。自分たちの王が現れたと思った人(ルカ19:37-38)、偉大な教師だと言った人がいました(マタ7:28-29)。一方、イエスはただの大工の息子だとか(マタ13:55-58)、その教えは到底受け入れられないと思って去った人もいました(ヨハ6:66)。

イエスは私たちの願いを必ずかなえてくださるとは限りませんが、私たちの想像をはるかに超えたお方、永遠のいのちの与え主です(ヨハ6:47-48)。イエスは賢く良いお方。愛し、赦し、寄り添い、慰めてくださるお方です。そのイエスの内に憩い、このお方に従っていきましょう。

普通の人

ウイリアム・ケアリーは英国ノーサンプトンのつましい家庭に生まれた病弱な少年でした。明るい未来が望める境遇ではありませんでしたが、神は、彼の人生にご計画をお持ちでした。ケアリーはさまざまな障害を乗り越えてインドに渡り、目を見張るほどの社会改革を成し遂げ、数種類のインドの言語に聖書を翻訳しました。彼は神と人とを愛し、神のために多くのことを成し遂げました。