世の光
私の好きな絵画のひとつは、英国オックスフォードのキーブル・カレッジのチャペルにあります。ウィリアム・ホルマン・ハントによる「世の光」と題された絵画で、イエスが手にランタンを持ち、ある家の扉を叩く姿が描かれています。
ゴミ置き場の指輪
大学生の頃、ルームメイトのキャロルが大切な指輪を失くしたと大騒ぎになりました。私たちは部屋中を探し、翌朝はゴミ置き場さえも漁りました。私はゴミ袋を引きちぎりながら「何が何でも見つけるつもりなのね」と言うと、彼女は「当り前よ。200ドルもしたんだから!」と答えました。その強い決意に私は天の御国のたとえ話を思い出しました。
扉を開ける
ジョナサンは脳性まひで生まれ、話したり、思いを伝えることができませんでした。しかし母親のシャンタルはあきらめませんでした。そして息子が10歳の時、目とアルファベット表で会話する方法を見つけました。「扉が開きました。彼に何でも聞けるようになったのです」と彼女は語ります。現在、ジョナサンは目を使って読み書き、そして詩を書くこともできます。家族や友だちと話せるようになった感想を聞くと「みんなを愛しているって伝えられるから嬉しい」と答えました。
解放される
村の子だった私は、鶏の習性を知っていました。鶏を捕まえて押さえ、その後ゆっくり放すと、鶏は逃げられるのに、うずくまったまま動きません。まだ捕まっていると思い込んでいるのです。
祈ること
私は英国の作家G.K.チェスタトンの作品が好きです。彼の洞察力やユーモアにはクスッと笑わされ、同時に深く考えさせられます。たとえば、彼はこう書いています。「人は食前の祈りをすると言います。けれど私は、演劇やオペラの前、コンサートやパントマイムの前、読書やスケッチ、絵画、水泳、フェンシング、ボクシング、散歩、遊び、ダンス、そしてインク壺にペンを浸す前にも、祈ります。」
属するということ
夜遊びをして帰宅。当時私は20歳で、神を離れていました。しかし翌朝、なぜか突然、父が牧師をしている教会の礼拝に行こうと思いました。そして、よれよれのジーンズにTシャツ、ひものほどけたスニーカーを履いて、車を走らせました。説教の内容は覚えていませんが、私を見て大喜びした父の顔は忘れられません。私の肩を抱き「息子です」と教会の皆に誇らしげに紹介してくれました。父の嬉しそうな姿は、神の愛の投影となって、数10年経った今でも私の目に焼き付いています。
イエスとの交わり
ある夕食会でビリー・グラハム師の隣に座らせていただいたことがあります。一生忘れられない光栄なことですが、同時に何を話せばよいかと緊張していました。それでまず、主の働きに長年携わってきて一番楽しかったことは何ですかと尋ねてみました。そして、大統領や王室の人たちと知り合ったこと、世界中で何百万人という人々に福音を伝えたことですか、と続けようとしました。しかし、グラハム師は、私が続きを言い終える前にためらうことなく言いました。「一番楽しいことは、イエスとの交わりです。主の臨在を感じ、主の知恵を与えられ、主に導いていただくこと、それが、私の最大の喜びです。」
混乱の中の祝福
自業自得だから、自分で何とかしなければと思うことがあります。神のあわれみを信じていても、神が助けてくださるのは、私に落度のないときだけだと考えてしまいがちです。しかし、そうでないことは、ヤコブが初めて神と出会ったときの様子から分かります。
私たちの隠れ家
初めてのアルバイトはファストフード店でした。ある土曜日の夕方、男性客に仕事は何時に終わるのかと尋ねられ、不安になりました。その人は店長からとがめられないように、フライドポテトを注文したり、飲み物を注文したりして、時間を潰しています。私の家は近所でしたが、暗い駐車場や空き地の前をひとりで歩くのが怖くなりました。とうとう深夜12時の終業時刻になり、私は事務所から家に電話しました。