この贈り物
何年も前、私は杖のコレクションをしているとエッセーに書きながら、いずれは杖を卒業して歩行器になるかもしれないと思っていました。そして、ついにその日が来ました。腰の問題に末梢神経の障害が加わって、三輪歩行器を押して歩くことになったのです。ハイキングや釣りなど、大好きだったことができなくなりました。しかし、この身体の制約は、それが何であろうと神の賜物です。そのことを今、学ぼうとしています。そして、この賜物を用いて、神に仕えていかなくてはなりません。これは、すべての人に言えることで、制約が肉体、情緒、知性のどこにあろうと同じです。神は弱さの中に現れるので、自分は自らの弱さを誇ると、使徒パウロは大胆にも語っています(Ⅱコリ12:19)。
変わる事を選ぶ
息子が小さなロボットを手に入れ、簡単な動作をプログラムしました。彼はロボットを前進させ、止まらせ、後退させることができます。ピーッと音を鳴らしたり、録音して再生することもできました。ロボットは息子の命令通りに動きます。笑わないし、脱線して変な方向に行ったりしません。選択の自由がないからです。
わたしはあなたとともにいる
キリスト教出版社のインターンだったとき、クリスチャンになった人の証を雑誌に書きました。劇的な救いを通して以前の生活と決別し、喜んでイエスを人生に迎えた人の話です。ところが発刊の数日後、「気をつけろよ!お前は監視されているぞ。あんなことを書くなら命の保証は無いぞ」と、脅迫電話を受けたのです。キリストを示して脅されたのは、そのときだけではありません。トラクトを配っていて、「それを持って失せろ!さもないと…」と脅されました。2回とも恐ろしい経験でしたが、単なる脅迫でした。一方、脅迫だけでは済まなかったクリスチャンも大勢います。場合によっては、敬虔な生き方をしているというだけで、迫害されることもあります。
神の恵み
最近乗った飛行機は、着陸の際にかなり揺れました。余韻は滑走路に降りてからもつづき、乗客の中には硬くなっている人もいました。そんなとき、後ろの座席の小さな女の子ふたりが、「わーい、もう一度!」とはしゃぎ、緊張がほぐれました。
あなたの旅
私は1960年代という反抗的な時代に育ち、少年の頃は宗教に否定的でした。小さい頃から教会に行っていましたが、自分の信仰を持ったのは、大きな事故に遭った20代の前半でした。そしてイエスの愛を伝える人生を送り、それは正に人生の旅でした。
砂の楽園
現在のアーチズ国立公園(ユタ州)で夏場に自然保護官を務めたエドワード・アビーは、自分史「砂の楽園」を記しました。その巧みな言葉の選び方と米国南西部の生き生きとした描写は、一読の価値があります。しかしアビーは無神論者だったので、卓越した審美眼を持っていても、自然の美しさを表面的に見ることしかできません。生涯、美を賛美したのに、悲しいことにその核心を見逃していました。
心の底から
大声で泣き叫んだり、着物を引き裂いたりする行為は、多くの文化の中で個人の悲しみを表し、国家の惨事を嘆く公式な手段として認められています。旧約聖書のイスラエル人は、このようにして神に背いたことを嘆き、悔い改めました。
やらなきゃならない
ジョーイーは祈って、子ども礼拝を始めました。そして、皆で歌いました。次に、アーロン先生を紹介して祈ると、6才のエマニュエルがごそごそし始めました。お話の始めと終わりにアーロンが祈ると、エマニュエルが文句を言いました。「これで4つ目のお祈りだよ。そんなに長くじっとしてられない!」
努力をつづけて
息子は読書が大好きです。彼の学校では、課題以外の本を読んだ生徒に賞状が与えられますが、このちょっとした褒美に励まされて、彼は良い習慣を身につけています。