救いの御手
ブロガーのボニー・グレイは、嵐のような悲しみに囚われたと語ります。最高に幸せだった時期に、突然、理由もなく、パニックや抑うつ感に襲われたのです。何とかしようといろいろと試してみましたが、やがて、その状況に1人で立ち向かえるほど自分は強くないと悟りました。彼女は次のように語ります。「あの抑うつ感が去るように、誰にも何も言わず1人で祈りました。信仰が弱いなどと言われるのが嫌だったからです。しかし、神は、痛みから目を逸らさせたり、自分で自分を責めたりさせたいとは思っておられません。私たちを癒やされたいのです」。彼女は、神の臨在に慰められ、癒やされていきました。神は、逆巻く大波から守ってくれるいかりでした。
大いなる期待
師走のある日、高齢の女性が混雑する郵便局に来ました。係員はその緩慢な動作に我慢しつつ「こんにちは、おばあちゃん」とあいさつしましたが、この様子にしびれを切らす人がいたかもしれません。
すべての良きこと
金曜日の夕方に家族で見るニュース番組は、明るい話題で締めくくられます。例えば、新型コロナウィルスに罹患したレポーターが完全に回復し、他の患者の治療のために、血しょう成分献血を行った話題です。当時は、抗体の効果について結論が出る前で、多くの人が無力感に襲われていました。しかし、彼女は「可能性が無い訳ではないのだから、献血の痛みは大した犠牲じゃない」と思ったそうです。
爆音
大みそかの打ち上げ花火は世界各地の風物詩ですが、その爆音は、あえて大きく響くように作られています。花火は、大気を引き裂くようにできていて、繰り返す炸裂音は低空のものほど大きく大気を揺さぶるそうです。
建て直す
ドウェインはヘロイン中毒と窃盗が原因で、南アフリカ、ケープタウンのマネンバーグ地区の家を17歳で出ましたが、そうはいっても、トタン板で建てた裏庭の小屋に移っただけです。そこはやがて「カジノ」と呼ばれ、薬物乱用の場となりました。ところが、ドウェインは、19歳でイエスに出会いました。その後の道のりは長く苦しいものでしたが、神の助けと信仰の友の支えによって、薬物依存を断ち切り、回復しました。「カジノ」を作ってから10年後、ドウェインと仲間たちは、ここを家の教会にしました。暗く不吉な場所が、礼拝と祈りの場に変えられたのです。
人生の短さ
病床の父の呼吸が浅くなり、無呼吸の間隔が長くなり、やがて途絶えてしまいました。母と私たち姉妹は、数日後の89歳の誕生日を待つことなく、神が待っておられる天国へ旅立った父を静かに見送りました。父の死は喪失感をもたらしました。実家に父の姿はなく、あるのは思い出と形見の品だけです。しかし、私たちには、再び天国で父に会えるという希望があります。父は神のもとにいると信じているからです。
起こらなければよいのに
荒れ狂う嵐がアラスカ杉を激しく揺さぶり、根こそぎひっくり返しそうでした。夏の強い日差しを遮り、家族のプライバシーを守ってくれるこの木を守ろうと、レジーは15歳の息子を連れて駆けつけました。そしてふたりで何とか倒壊を防ごうとしましたが、力不足でした。
かすかな光
第二次世界大戦でスパイ活動をしていたジャーナリストのマルコム・マガリッジは、ある憂鬱な夜について記しました。「酒の匂いと絶望に満ちたベッドに横たわった…宇宙の中で永遠にたったひとり。かすかな希望の光もなく…」と。そして、マダガスカルの海に飛び込み、自らの命を絶とうとしました。沖に向かって泳ぎ続け、疲れ切って振り返ると、遠く離れた岸辺にほのかな光が見えました。すると、訳も分からずその光に向かって泳ぎ始めていました。肉体は疲労困憊でしたが、圧倒的な喜びに包まれていたと語ります。
誉れが消えうせた
娘のメリッサを取り戻すことはできません。学校で楽しそうにバレーボールをする姿を見ていた幸せな日々の記憶は薄れていきます。彼女のはにかんだ微笑みを思い浮かべることも、時には難しくなりました。メリッサが17歳でこの世を去ったとき、彼女の存在という私の喜びに幕が下ろされたのです。