神のときを待つ
南アフリカの牧師アンドリュー・マーレーは、イングランドに滞在していた1895年、持病の腰痛が再発して苦しみ、静養していました。あるとき、滞在先の女主人が、大きな問題を抱えた女性が助言を求めていると告げました。マーレーは言いました。「これを渡してください。自分を励ますために書いたものですが、彼女のためになるかもしれません。」そこには、以下のように書かれていました。
山からの眺め
私たちはアイダホ州の渓谷の町に住んでいますが、ここは冬にはかなり冷えます。雲が低く垂れ込め、地面まで霧におおわれるので、上空の暖かい空気がさえぎられて入ってきません。しかし、この寒さから脱出する方法があります。近くに、標高2,300メートルのシェーファー・ビュート山の、山肌を周りながら登っていく道があるからです。車でたった数分行くだけで、濃い霧の世界を抜けて、光り輝く太陽を浴びることができます。眼下には雲海が広がります。新しい視点で谷を見るのです。
信仰の声
彼女は、あふれる涙をどうすることもできません。疑問や恐怖が大波のように押し寄せてきました。順風満帆だった人生が突然壊れて、全てが変わってしまったのです。悲劇は、色々な形でやって来ます。家族と死別したり、病気になったり、財産をなくしたり、仕事を失ったり…。それは、いつ、誰にでも起こり得ます。
疑問が残るとき
テスト飛行中の宇宙旅客機が2014年10月31日、モハベ砂漠に墜落しました。操縦士は奇跡的に助かりましたが、副操縦士が亡くなりました。事故の全容は分かりません。新聞記事の見出しは 「疑問が残る」でした。
安息への招待状
救急病棟に入院した友人が、ベッドの横で他の患者たちが痛みにもだえ苦しむ声を聞き、心が動揺しているのが分かりました。彼らのために祈りながら、私は改めて人生のはかなさを思いました。古いカントリーウエスタンの歌詞が思い浮かびました。私たちはただ、この世を通り過ぎていくだけなのです。
最悪のとき
ウィンヤードというイギリスの男子寄宿学校に通っていた時期が、C.S.ルイスと兄ウォーレンにはありました。校長は冷酷な人だったので、学校中の人はみじめな生活をしていました。ウォーレンは後年、「私は今、64歳を過ぎたところだが、ウィンヤードにいた頃よりはずっとましだ、と言って自分を慰めることができないような境遇になったことは一度もない」と皮肉交じりに語っています。彼のように、あの頃と比べれば…と思い出して今の状況を感謝できる、最悪の時は誰の人生にもあることでしょう。
外からの助け
出張中の夫がホテルの部屋に落ち着くやいなや、妙な音が聞こえてきました。何だろうと廊下に出ると、近くの部屋で叫び声がします。ホテルの従業員に来てもらって調べると、客が浴室に閉じ込められていました。ドアの鍵が壊れていたのです。閉じ込められた男性は気が動転して呼吸が苦しくなり、助けを求めて叫びました。
ともに苦しむ
アンザック・デーは、2015年4月25日に100周年を迎えました。この日はオーストラリア・ニュージーランド連合軍(両国の頭文字ANZに軍団を意味するCorpsのCを加えて「アンザック」)が第一次世界大戦に参戦し、協力して戦争の脅威と戦ったことを記念する日です。また、兵士たちに敬意を表す日であり、両国では祝日です。
強いフィンランド人
第二次世界大戦下のフィンランドでのこと。遠くに聞こえるざわめきが、やがて大地を揺るがし、大挙して押し寄せてくる戦車と兵士が向こうに見えました。味方の数をはるかに超えています。しかし、この怒涛(どとう)の大進軍を前に、ひとりの勇敢なフィンランド人が大声で言いました。「やつらをみんな埋葬する場所があるかなぁ。」