神に感謝をささげる
友人は、帰宅を急ぎながら夫が帰る前にできる夕飯は何かしらと考えていました。夫婦とも忙しく責任ある仕事をしています。日曜日は鶏肉料理を作りました、月曜日は、その残り、そして火曜日も焼いた鶏肉でした。冷凍庫に魚の切り身が2切れありましたが、魚は夫の好物ではありません。しかし、短時間で調理できるものは他に無かったので、それにするしかありませんでした。
神に好かれ愛される
親指を立てるフェイスブックのマークが登場したのは2009年です。デザイナーのローゼンスタインは、このマークが「人々が批判し合うのではなく認め合う世界」の一助になることを願いました。ところが、SNS依存を助長する結果となり、嘆いています。
渇望と感謝
死ぬまでにやっておきたいことの一つに挙げていた、グランドキャニオンでのハイキングに、2人の友人と出発しました。しばらくすると、水は十分かしらと不安になりました。そして案の定、道のりはまだ長いのに水が尽きてしまいました。浅い息に祈りが交じりました。しかし、曲がり角を曲がった時、奇跡が起こりました。岩の裂け目に3本の水のボトルが、メモと一緒に押し込まれていました。「これが必要ですよね。どうぞ遠慮なく!」私たちは、信じられないと互いに顔を見合わせ、小声で神に感謝をささげ、渇ききった喉を潤そうと、その水を口に含みました。そして、残りの道を歩みましたが、人生であれほど渇いたことも、感謝したこともありません。
キリストにきよめられる
初めて参加した短期宣教旅行の行き先はブラジルのアマゾン川流域のジャングルでした。ある日、地域の家を訪問すると、珍しく浄水器がありました。濁った井戸水の汚れが数分で取り除かれ、きれいな飲み水に変わりました。私の心にキリストにきよめられるというイメージが浮かびました。
惜しみなく受け、惜しみなく与える
私たち夫婦は、それぞれ学資ローンを抱えて大学を卒業しました。二人の借金を一本化する低金利のローンを地元の銀行に申し込みましたが、審査に通りませんでした。その地域での居住期間や就労期間が短すぎたのです。数日後、この一件を教会役員のミンに話すと、彼は「妻にも話をするよ」と言いました。
聖なる者へ
娘は、幼い頃、昼食時によくスイスチーズで遊びました。淡い黄色のチーズの穴から瞳を輝かせて私をのぞき見ながら「ママ、見て!」と言います。私には、そのチーズのお面は、自分の子育ての奮闘、つまり、純粋にささげつつも非常に不完全な母の愛、を代弁しているように感じました。私は聖なるものではなく、欠けだらけなのです。
あわれみの示し方
教会役員のハロルドと妻のパムの家に招かれ、嬉しくも不安でした。聖書に反することも教える大学の聖書研究会に行ったからです。叱られるのかしらと思いました。
心を映す言葉
どうすれば悪口雑言を避けられるでしょう。ある高校では生徒たちに「人をおとしめるようなことを学校で言いません」と宣誓させました。その努力は評価すべきですが、イエスによれば、どんな規則も宣誓も悪口雑言を規制できません。
年長者の提言
ジョージ・サンダースは、米国のベストセラー作家です。2013年のシラキュース大学卒業式の祝辞で「私が後悔していることは?」という問いに答えるかたちで語りました。年配の人が己の後悔を若い卒業生に分かち合うことで、そこから何かを学んでもらおうというのです。彼は、まずありがちな話、例えば貧しかったことやひどい労働環境で働いたことなどを挙げましたが、それらについては大して後悔していないと述べました。彼の後悔は、親切を怠ったこと。親切にすべきだった時にできなかったことだと語りました。