聖なる者へ
娘は、幼い頃、昼食時によくスイスチーズで遊びました。淡い黄色のチーズの穴から瞳を輝かせて私をのぞき見ながら「ママ、見て!」と言います。私には、そのチーズのお面は、自分の子育ての奮闘、つまり、純粋にささげつつも非常に不完全な母の愛、を代弁しているように感じました。私は聖なるものではなく、欠けだらけなのです。
あわれみの示し方
教会役員のハロルドと妻のパムの家に招かれ、嬉しくも不安でした。聖書に反することも教える大学の聖書研究会に行ったからです。叱られるのかしらと思いました。
心を映す言葉
どうすれば悪口雑言を避けられるでしょう。ある高校では生徒たちに「人をおとしめるようなことを学校で言いません」と宣誓させました。その努力は評価すべきですが、イエスによれば、どんな規則も宣誓も悪口雑言を規制できません。
年長者の提言
ジョージ・サンダースは、米国のベストセラー作家です。2013年のシラキュース大学卒業式の祝辞で「私が後悔していることは?」という問いに答えるかたちで語りました。年配の人が己の後悔を若い卒業生に分かち合うことで、そこから何かを学んでもらおうというのです。彼は、まずありがちな話、例えば貧しかったことやひどい労働環境で働いたことなどを挙げましたが、それらについては大して後悔していないと述べました。彼の後悔は、親切を怠ったこと。親切にすべきだった時にできなかったことだと語りました。
湧き起こる賛美
エチオピアに短期宣教旅行に出掛け、現地の伝道団体に合流した時のことです。苦境に陥りごみ集積場に小屋を建てて暮らす若者たちに福音を伝えに行きました。彼らと出会えて感謝です。私たちは主の御業を語り合い、励まし合い、共に祈りました。月の光のもとで、現地の青年の奏でるギターに合わせて、皆で賛美をしました。それは心震える聖なる体験でした。目下の状況は絶望的ですが、彼らは希望も喜びも失っていません。それをイエスの内に見いだすからです。
さあ家に帰ろう
友人のアルとキャシー・シファー夫妻は、第2次世界大戦時の象徴的な戦闘機を航空ショーで飛行させました。その様子を、年老いた元兵士たちが感無量で見上げていました。彼らは当時をしのんで語り合うために来たのです。人々は目に涙を浮かべて戦地の体験を語りました。多くの人たちは、国に奉仕する中で聞いた最高の知らせは「戦いは終わった。さあ家に帰ろう」だったと言いました。
土の上の美
近所の空き地にきれいな畝がいくつもできています。そして小さなつぼみをのぞかせた葉っぱがたくさん植わっていました。翌朝、赤いチューリップの花が開いているのを見て思わず立ち止まりました。
神の御業を語る
宣教師となって太平洋の島で仕えている大学時代の友人ビル・トバイアスが、一獲千金を求めて故郷を離れた後、回心してイエスの救いを信じた若者の話をしてくれました。彼は魔術に翻弄(ほんろう)される故郷の人々に福音を伝えてくれる宣教師を探してビルの所に来たそうです。しかし、ビルは「主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか……を知らせなさい」(マコ5:19参照)と告げ、若者は言われたとおりにしました。
愛の懲らしめ
ジョージ・マクドナルドの寓話(ぐうわ)『きえてしまった王女』は、2人の身勝手な少女が、賢女によって試練を課され、良い人になるという物語です。