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手を差し伸べる勇気

アルディはまだ十代でしたが、インドネシアのスラウェシ島から125キロメートル離れた水上の釣り小屋で、ひとりで働いていました。ある日、強風で錨の係留がはずれ、小屋ごと大海に流され、49日間、海上を漂流しました。船舶を見つけるたびにライトを照らして呼びかけましたが、反応はありませんでした。彼が衰弱した状態で救出されるまでに約10隻もの船が通過していたのです。

仲間外れにされていても

息を呑む技が繰り広げられるオートバイのショーを大観衆に混じって観ていました。私はつま先立ち。あたりを見回すと、3人の子どもたちが近くの木に登っていました。群衆をかき分けて前に出ることができなかったのでしょう。その様子に取税人ザアカイを思い出さずにはいられませんでした(ルカ19:2)。

役に立つ誘惑

古来、人々に愛読されてきた15世紀の修道僧トマス・ア・ケンピスの著書『キリストにならいて』には、誘惑に対する意外な見解が示されています。ケンピスは、誘惑されたとき、人はへりくだり、きよめられ、教えられると言います。そして、勝利の鍵は、真の謙遜と真の忍耐。そのうちにあって、我々は敵よりも強くなると説明しています。

お父さんの子

古ぼけた写真を見ていた子どもたちが顔を上げ、私と父を交互に見比べました。そして目を皿のようにして「父さんは、若い頃のおじいちゃんにそっくりね!」と言いました。父と私は苦笑いしました。そんなことはふたりともとっくの昔から分かっていたのですが、子どもたちは今ごろ気づいたようです。私たちはもちろん別の人間ですが、私は若い頃の父に瓜二つです。ひょろりと背が高く、ふさふさとした黒髪、わし鼻に大きめの耳。私と父とは別人ですが、私はどこから見ても彼の息子です。

聖なる集まり

連休を利用して旧友たちと湖畔の宿に泊まりました。昼間は水遊びや食べ歩きをしましたが、本音で語り合った夜が最高の思い出です。夕闇が迫る中、私たちは 日常ではあり得ないほど 心を開き、行き詰った結婚生活の痛みや心的外傷に苦しむ子どものことなど、自分をさらけ出して語り合いました。そして安易な気休めではなく、苛酷な現実の中にも真実な神がおられることを確認し合いました。この夜は私の人生にとって、最も聖なるひとときだったと言えます。

赦すために召された

パトリック・アイルランドは、コロラド州コロンバイン高校の銃乱射事件で負傷した生存者です。彼は長い回復の途上で、恨みから解放されないと傷は深くなるばかりだと学びました。赦しの鍵は、人にされた悪ではなく、イエスがしてくださったことに焦点を合わせることでした。キリストは十字架上で、自分を苦しめる者たちのために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と言いました(ルカ23:34)。こうして祭司ザカリヤの預言が成就したのです(1:77)。

導きが必要

研究者のケネス・ベイリーにとって、アンクル・ザキはただの友人ではありません。危険なサハラ砂漠の旅における頼みの綱でした。ベイリーと仲間たちは、案内人のアンクル・ザキに服従しました。彼らの態度は「我々は行く道を知らない。万一、あなたが道に迷ったら、ともに死ぬ覚悟だ。我々はあなたを100パーセント信じて、その指示に従う」と表明していました。

力を抜いて

昔、父と木を切り倒し、ふたり引きのこぎりで引いて材木にしました。私が力任せにのこぎりを引くと、父は「力を抜いて、のこぎりに仕事をさせなさい」と言いました。

何でもやる

自称「天才」が、世界の恐怖や腐敗、無知や貧困についてわめきちらし、この世は不条理で神はいないと断言する映画がありました。珍しい話ではありません。変わっているのは「ちょっとでも幸せを感じることは、何でもやってくれ」と最後に観客に訴えることです。そこには背徳も含まれます。