心を配る
ジョン・ニュートンは次のように書きました。「もし帰宅の途中、半ペニーを落とした子がいて、私が弁償してあげることでその子の涙を拭えたのなら、私は自分が何かを成したと思います。もっと大きなことをして喜ぶことも重要でしょうが、このことも軽んじはしません。」
熱心に捜す
娘が高校のクロスカントリー部に所属しているので、毎週土曜日には家族で沿道に立って応援します。選手たちはゴールするとチームメイトやコーチ、親たちといっしょになろうと歩き出しますが、多くの場合、300人以上がごちゃごちゃと行きかうので、その中からひとりを見つけるのは大変です。しかし、私たちは応援に来た唯一の選手、我が最愛の娘を抱きしめてあげたくて、群衆をかき分け、夢中になって彼女を捜します。
蛇と三輪車
私は子どもの頃をガーナで過ごしましたが、兄が三輪車を小さな毒蛇の上に止めたという当時の出来事をくり返し話してきました。私の記憶の中で、蛇は前輪の下敷きになって静かにしていました。しかし、当時のことを記した母の叔母に宛てた手紙が、ふたりが亡くなってから出てきました。実は、蛇に三輪車で乗り上げたのは私で、兄は走って母に知らせに行ったのです。その出来事を詳しく記した母の目撃証言によって真相が明らかになりました。
誘惑に負ける
姪にしつこく誘われて、2016年の夏、ポケモンGOをしました。これはスマホのカメラを使って「ポケモン」という名前の小さな生き物を捕まえるゲームです。スマホの画面の中に「ポケモン」が現れると、同時に紅白のボールも現れます。そこでプレイヤーは、このボールを指ではじいて「ポケモン」に当てて捕えるのですが、わなを使って「ポケモン」の注意をそらすと、それを捕まえるのが容易になります。
他の人を顧みる
ハイメは巨大な多国籍企業で働いています。新入社員の頃、社内で人が話しかけてきました。彼は相手の質問に答えると名前を尋ねました。すると「リッチです」とのこと。ハイメは「初めましてリッチ。それであなたの仕事は?」と尋ねました。すると彼は「この会社のオーナーです」と答えたのです。ハイメはハッとしました。この飾り気のない人が、世界有数の富豪のひとりでした。
罪は赦された
子どもの頃、友だちを誘って近所のギフトショプに行きました。すると彼女は、クレヨン形の髪留めをつかんで私のポケットに押込み、店の外に引っ張り出したのです。私は罪の意識に一週間苦しみ、ついに母に泣いて打ち明けました。私は友だちに逆らえなかったことを後悔し、盗んだ品物を返して謝り、二度と万引きをしないと誓いました。店の人は二度と来るなと言いましたが、母は赦してくれました。過ちを正すために最善を尽くしたと母が言ってくれたので、私は安心して床につきました。
収穫のために色づいている
夏の終りに英国のニューフォレストを散歩し、近くで馬がたわむれるのを見ながら野生のブラックベリー摘みを楽しみました。昔々、誰かが植えたであろう甘い実の味を堪能しながら「わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました」(ヨハ4:38)というイエスのみことばに思いを馳せました。
静まりなさい
ダニエル・レヴィタンは、著書「頭の整理-情報過多時代の正しい考え方」の中で、人類がこの5年間に生み出した情報は、それ以前の情報の総量を超えていて、洪水のように向かって来ると語ります。また、私たちは過度の刺激を求める中毒にかかっているとも述べています。人の心は、色々なメディアから炸裂する情報や知識によって支配されがちです。絶え間なく情報があびせかけられる今日の状況の中で、静まって考えたり、祈ったりすることは、益々困難になっています。
神が現れた
高齢で亡くなった元帰還兵の告別式で、故人は今どこにいるでしょうと牧師が問いかけました。ところが彼はどうすれば神を知れるのかについて語らず、聖書とは無関係の話をしました。私は思いました。それでは、どこに希望があるのか…。