比べずにはいられない
ハーバード・ビジネス・スクールのデロング教授は、同僚や学生たちが困った強迫観念に捕らわれている、と気づきました。それは、自分を人と比べずにはいられないというものです。どんどんその傾向が強くなっており、企業の幹部、ウォール街のアナリスト、弁護士、医者、また他の専門職の人たちも、自分の成功と他人の成功を比べてばかりいるといいます。教授によると、これは個人にも企業にも良くないそうです。成功の基準が内ではなく外にあると、満足度や献身度が落ちるからです。
あなたがいつもすること
軍の車列が出発しようとしたとき、若い兵士が慌てて軍曹の車の窓を叩きました。軍曹はいら立ち、ぶっきらぼうに「何だ?」と尋ねると、兵士は「あれをお願いします」と言います。「何だ?」と言うと、「軍曹がいつもなさることです」との返事。軍曹は、いつも出発前に車列の安全を祈っていましたが、今回はまだでした。彼はそのことに気づくと、重々しい態度で装甲車から出て、兵士たちのために祈りました。先の兵士は、自分の上官は祈る人だということに、価値を感じていたのです。
堂々と歩く
ハンターは15歳だった2015年の夏、8歳の弟ブレーデンを背負って約90キロを歩きました。脳性麻痺の人たちの支援を啓発するためです。ブレーデンの体重は約27キロもあるので、特別のおんぶひもを装着しました。そして、何度も休憩を取ったり、支援者にストレッチをしてもらったりもしました。ハンターによると、おんぶひもは確かに役に立ちましたが、何よりの支えは、道中、応援をしてくれた人々だったそうです。「もし応援してくれたり、一緒に歩いてくれたりする人がなければ、やり遂げることはできなかったでしょう。…足は痛くても、友だちが元気をくれたので、最後まで頑張ることができました」と言いました。彼らの母は、この過酷な旅路を「脳性麻痺の快挙」と言いました。
闇に光を灯す
ヴァーツラフ・ハヴェルはチェコスロバキアの反体制運動の指導者でしたが1989年、国民の自由選挙で選ばれた最初の大統領になりました。2011年に死去し、葬儀がプラハで営まれました。このとき元アメリカ国務長官でプラハ生まれのマデレーン・オルブライトは、「ハヴェルは深い暗闇の世界に光を灯した」と述べました。
生き方という遺産
小さな町のホテルに滞在したとき、道の向こう側の教会で、集会が行われているのに気づきました。教会はすし詰めで、立ち見どころか歩道まで、老いも若きもあふれる人だかりです。ふと、道路脇に霊柩(れいきゅう)車が止まっているのに気づき、それは葬式だと分かりました。あんなに人が多いのだから、地元の名士、つまり裕福な実業家か有名人だろうと推測しました。そして好奇心から、「すごい数の参列者ですね。この町で有名な方だったのですか」とフロント係の人に尋ねました。
父は知っておられる
ある暑い夏の夜、まだ4才の私は、床に敷いたマットの上で父の横に寝ていました。母は当時、赤ちゃんがいて、別室で寝ていました。故郷のガーナ北部は、いつも乾燥しています。暑くて体中に汗をかき、喉が渇いたので、父を揺り起こしました。すると父は真夜中なのに起き上がって、水瓶から水を汲んで飲ませてくれました。父はいつも、そうでした。あの夜のように、優しく面倒見の良い父でした。私に必要なものをいつも与えてくれました。
理解できなくても
仕事をするために毎日、IT技術のお世話になっています。パソコンの電源を入れ、文章作成ソフトを起動し、執筆に取り掛かります。しかし、その仕組みをほとんど知りません。マイクロチップ、ハードドライブ、フルカラーディスプレイ、Wi-Fi接続などがどうなっているのか、よくは分かりません。しかし、だからといって、これらの技術の恩恵を受けられない、ということはありません。
考え方を形成する
マーシャル・マクルーハンは1964年、「メディアはメッセージだ」と語りました。パソコンや携帯電話、インターネットが存在すらしない時に、私たちの思考がメディアに影響されることを予測していたのですから、何という先見でしょう。ニコラス・カーは自著「ネット・バカ: インターネットが私たちの脳にしていること」で、次のように述べています。「メディアは…思考のプロセスを形成してもいる…ネットは現在、わたしの集中力と思索力をそぎ取っている…いまやわたしの脳は情報が、ネットから与えられているときと同じかたちで、つまり細分化された断片の迅速な流れとして入ってくるものと思っている。」
灼熱の太陽からの安堵
英国に住んでいると、日焼けを気にすることはめったにありません。太陽は大抵、厚い雲におおわれていますから。しかし最近スペインに行って、色白の私の肌は、強い日差しに10分と耐えられないと気づきました。私は慌てて、パラソルの下に逃げ込みました。