神のあわれみを映す
ソビエト連邦がフィンランドに侵攻した冬戦争(1939年~1940年)の際、負傷して倒れていたフィンランド兵にソ連の兵士がライフルを向けながら近づいてきました。フィンランド兵はもうだめだと思いました。しかし、相手は応急処置のキットを渡して立ち去りました。その兵士は、なんと後日、逆の立場で同じ状況に出くわしました。負傷して倒れているソ連の兵士に遭遇した彼は、医療品を渡して立ち去ったのです。
完全な救い主
家のリフォームをするテレビ番組で、浴室のタイルが絶賛されていました。工場で均一に生産された製品ではなく、職人の手仕事による「ふぞろい加減が完全」なタイルだといいます。その不完全さが、各々の個性を輝かせ、機能偏重に傾く場所に趣を与えるのだそうです。
愛で関わる
メレディスの母親は、娘の結婚式でコリントの信徒への手紙一13章のみことばを朗読しました。これは「愛の章」と呼ばれていて結婚式にぴったりです。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない」(4節)。それを聞きながら、新郎新婦や列席者たちは、これが書かれた背景を知っているかしらと考えました。使徒パウロは恋愛の詩を書いたわけではありません。彼は、激化する反目を解決してほしいと教会の人たちに嘆願しているのです。
神は御顔を向ける
ジョアニーの夫は、妻と幼い子どもたちを捨てて、他の女の元に去りました。「時々、透明人間みたいって思う」。彼女の言葉は空しく響きました。「人生の最も良い時を彼にささげた。今では、私のことを見たり、時間を取って知ろうとする人もいないでしょう?」友人は気の毒に思うと答え、こう続けました。「私の父も私が6歳の時に出ていったからつらかった。特に母は。でも、ある夜、私を寝かしつけながら『神さまは決して目を閉じないよ』って言ったことを、決して忘れない。少し大きくなると、神は私を愛していて、常に、私が眠っている時でさえ、見守ってくれていることを教えようと思った、って説明してくれたのよ」
人の計画、神の計画
かなり前のことですが、夫は教会の仲間とアフリカに伝道旅行に行く予定でした。しかし、直前になって、企画自体が取りやめになりました。皆がっかりしましたが、渡航費や滞在費のために積み立てたお金は、訪問予定だった土地の人々に寄付されました。彼らはそのお金で、虐待の被害者を保護する施設を建てました。
神はあきらめない
エバンは長年、依存症に悩まされ、神に愛される資格などないと感じていました。ずっと教会に通ってはいましたが、神と自分の間には、埋めることのできない溝があるようでした。
釣りざおと新しい友
ある日の午後、パティは近所の川のほとりで釣りをしました。魚釣りではありません。最近、この地区に引っ越してきたので、友だちが欲しかったのです。さおの先には、餌もルアーもありません。彼女は、頑丈なチョウザメ用のさおにクッキーの袋をくくりつけ、暑い夏の日に川下りするゴムボートの人たちに差し出しました。そのおもてなしは、皆にうけたようです。この独創的な方法で、彼女は隣人たちと知り合いになりました。彼女は文字通り、友だちを釣りに行ったのです。
イエスが平和
ジョアンは傷つきました。教会の友人たちがレストランで楽しむ姿をSNSで見るのは、今月2度目です。彼女は確かに人付き合いが下手ですが、仲間はずれはあんまりです。そんな人たちの教会に行くなんて変だと思いました。
人の世話をする
友人のドウェインの母シャーリーンは94歳で、とても小柄な人です。しかし、健康上の理由で自活できない息子のために、できるだけのことをします。彼女の部屋は、家の2階にありますが、客が来ると、ゆっくり16段の階段を降りてきます。愛する息子の介護を手伝うときもそうです。