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曾祖母の祈り

久しぶりに家族が集まった時、母は自分が記した文章を見せてくれました。それは彼女の祖母スーザンをたたえる内容でした。「おばあちゃん」は、母の話に度々登場します。スーザンは「夜明け前」に起きて一家のために祈っていました。その鮮明な思い出は、母の生き方に大きな影響を与えました。また今日、彼女に会ったことのない私の心さえも支えています。

それは恐ろしい

ユダヤ人の哲学者イェフダ・ハレヴィが千年以上前に書いた詩が、20世紀に翻訳されました。「それは恐ろしいこと 死が触れるものを愛することは」と始まり、その恐れの裏にあるものも「愛すること……そしてああ、失うこと」と明示しています。

外国籍の人

友人の亡き妻は、洋裁の名手でした。長い闘病生活の末に召されましたが、その前にミシンや作業台などを地元の被服協同組合に寄付しました。新しく移民してきた人たちの洋裁学校のためです。友人は「生地だけで28箱もあったよ。6人の女性が来て全部持って行ってくれた。移民の人たちは本当に頑張っている」と言いました。

極め付きの驚き

映画『フィールド・オブ・ドリームス』の主人公のレイ・キンセラは、若き野球選手時代の亡き父に会います。初めて彼を見た時、レイは妻アニーにこう言います「僕は人生に疲れた父さんしか見たことがなかった。ねぇ……何て声を掛けたらいいんだ」。亡くなった大切な人の元気だった時の姿に会えるとしたら、それはどんな感じでしょう。

主にあって敬意を示す

新しく高校スポーツになった競技を観戦して、一味違う高揚感を味わいました。それは既存の競技同様、コートで得点を争い、審判も応援団もいます。違いはチームを構成する5人の内、2人は健常者で、3人は何らかの障害を持っている点です。仲間の助け合い、励まし、声掛けなど、コートで繰り広げられるのは、心温まるものばかりで、両チームを応援したくなります。この競技の目的は、勝負を競うスポーツの醍醐味を障害の有無にかかわらず知ってもらうことです。

塩味の効いた答え

バートは食事の支払いをしようとデビットカードを差し出しました。レストランのスタッフは、それを受け取ると、「失礼ですが、この『わたしは道であり、真理であり、命である』と言った人は何者ですか。自信過剰ですね」と言いました。バートのカードは、キリスト教系の金融会社が発行したもので、表面にはヨハネによる福音書14章6節が印字されていたのです。バートは笑顔で、その人が「何者」で、私たちのためにどう犠牲になられたかを説明しました。

主の愛で愛す

ナチス占領下のフランス、ル・シャンボンで、5千に上る人命が、住民の努力で守られました。救われた人の中には多くのユダヤ人の子どもがいました。町の人たちが、故郷を追われた人たちを自宅や農場にかくまったのです。アンドレ・トロクメ牧師は、教会の人たちに「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」(申10:19)という御言葉を語り、逃げて来た人たちを助けるように促しました。それを聞いた町の人たちも、牧師の主張に共感して協力したのです。

神と共に行く

映画『クーリエ:最高機密の運び屋』は実話に基づいた話です。主人公のグレヴィルは、友人が逮捕と過酷な監禁に直面すると知ります。直ちに国外に逃れ、その人を知らないと主張すれば、自分は助かるでしょう。しかし、彼は忠実な友であることを選び、逃げずに逮捕監禁され、友と同じ過酷な状況に陥ります。しかし、両者とも相手を裏切りませんでした。やがてグレヴィルはぼろぼろの体で釈放されますが、真実な友であり続けました。

福音のためのリソース

シカゴの中心部で牧師対象の宣教会議があり、立派な会場と宿舎が準備されていました。そこに向かう途中に見た、衣食住にさえ事欠く人々の置かれた環境とは対照的です。この違いは、私たちの伝道計画に含めるべきことを明示しています。つまり、神が福音宣教のために諸教会に与えられたさまざまなものを充当すべき場所についてです。