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認められなかった功績

ハリウッドのミュージカル映画は1950年から1960年代に流行し、とりわけオードリー・ヘップバーン、ナタリー・ウッド、デボラ・カーという3女優が観客を沸かせました。彼女たちの魅力は、その歌によるところが大きかったのですが、それはマーニ・ニクソンによる吹き替えでした。これらの名作で彼女の果たした功績は大きいものでした。しかし、それは長い間、全く認められていませんでした。

行いを伴った信仰

友人が食料品を買いに行くと、車道の端を歩いている女性を見かけました。彼女は引き返して「乗りませんか」と声をかけるべきだと思い、それを実行したところ、大変感謝されました。その女性はバスに乗るお金がないので、蒸し暑い日に何キロも歩いて帰宅する途中だったのです。そればかりか、その日の朝、4時に職場に着くために何時間もかけて歩いたと言いました。

仕えるためにいる

教会役員の任命式の中で、牧師と新役員たちは、教会員の見守る中、互いの足を洗いました。これは、教会の指導者は仕えるしもべである、という彼らの立場を象徴した儀式です。

無益な行いは何もない

慢性痛で歩けなくなり、うつとの戦いも3年目に入って、「私の身体はもうボロボロ。誰の役にも立たないみたい」と、友人に打ち明けました。すると、彼女は優しく「私が笑顔で挨拶しても、あなたの話に耳を傾けても、何の役にも立たない?あなたのために祈ったり、優しくしたりしても何の役にも立たないの?」と言いました。「もちろん、そんなことは無いわ」と答えると、彼女は「だったら、どうしてそんなことを言うの。あなたは、私や他の人のために笑顔で言葉をかけたり、祈ったりしているでしょう。」神のためにするなら無益なことは何もありません。それを思い出させてくれて、神に感謝しました。

唐辛子

サハラ砂漠で過ごした少年時代を振り返って、サムは言いました。「夜寝る前にお母さんが、唐辛子をくれるんだ。辛くて水を飲むと、おなかがふくれるだろう。でも、やっぱり腹ペコだったよ。」サムの父は政変によって亡命を余儀なくされ、残された家族を母がひとりで支えていました。弟は赤血球異常による貧血症でしたが、病院に行くお金はありません。教会に行っていましたが、サムにとっては無意味でした。むしろ、「どうして神さまは僕らをこんな目にあわせるのだろう」と思っていました。

今日という日

バージニア・コナリーは1940年、周囲の批判を振り切って、テキサス州アビリーンで初めての女性の医師になりました。27歳でした。そして、100歳の誕生日を控えた2012年のある日、テキサス州医師会から最高の名誉ある賞を授与されました。この間、コナリーは毎日コツコツと神と人とに仕え、数々の医療伝道旅行に参加し、情熱をもって福音を伝えました。

心のチェック

通勤電車には、「隣の席の知らない人には話しかけない」など、暗黙のルールがあります。シカゴに通勤していた頃、このルールに従うのは本当に大変でした。私は新しい人と話をすることが大好きなのです。しかし、そんなルールに従いながらも、その人の読んでいる新聞のページをちらりと見れば、その人のことが推察できると思います。経済、スポーツ、政治、コラム…。彼が最初に開くページは何でしょう。それによって、どの分野に興味があるか分かります。

鍛冶屋と王

アレキサンダー・マッケイは1878年、スコットランドから現在のウガンダに宣教師としてやってきました。彼はムテサという王が統治している村に入り、まず、鍛冶屋の作業場を作りました。村人たちは、農具を作る外国人をけげんな顔で見つめました。その地方では、労働は女性のすることでした。男性は決して働きません。彼らは他の村を襲って村人を捕まえ、奴隷として外の人に売っていました。

ひとりの時間

コメディアンのフレッド・アレンは、「『セレブ』とは、有名になるために必死で頑張って、そうなれば気付かれないようにサングラスをかける人のこと」と言いました。名を成して注目されると、なかなかひとりにさせてはもらえません。