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甘い香り

作家のリタ・スノーデンが、英国ドーバーのカフェの庭でお茶を飲んでいると、甘い香りが漂ってきました。どこから来るのかと店の人に尋ねると、道行く人からだと言います。村人のほとんどが近くの香水工場で働いているので、仕事帰りの人が道を通ると、残り香が漂って来るのだそうです。

口コミで拡散する福音

ノースイースタン大学のバイラル・テキスト・プロジェクトは1800年代、当時のソーシャルメディアというべき新聞を通して、どのように情報が広まったかを調べています。それによると、この時代、新聞記事が50回以上転用されていれば「バイラル」、つまり、口コミで広がったと言えるそうです。一方、ブリット・ピーターソン氏がスミソニアン誌に発表した論文によると、殉教したキリストの弟子は誰かという当時の新聞記事は、他の書物に少なくとも110回引用されているそうです。

共有すべき宝

井戸を掘っていた農民たちが大発見をしました。1974年3月、中国の中央部の乾燥した大地の下から、紀元前3世紀に作られた兵馬俑(へいばよう)が現れました。実物大の兵士8千体、軍馬150頭、520頭の馬に引かれた戦車130台が、そこに眠っていました。秦始皇帝陵の兵馬俑坑は、中国最大の観光地のひとつで、毎年数百万人もの観光客が訪れます。この驚くべき宝は、数千年の間埋もれていましたが、今や世界中の人々に共有されています。

一番嬉しかったプレゼント

修養会で「今までで一番嬉しかったクリスマスプレゼントは何ですか」と質問されると、スポーツマンタイプの男性が、 「その答えは簡単だ」と言いました。「僕は大学を卒業したら、プロのフットボール選手にスカウトされると思っていましたが、そうならなくて腐っていました。そして、周りの人たちを傷つけていたのです。それから2年。フットボールを離れてから2度目のクリスマスに、今隣に座っている友人の教会に、クリスマス劇を観に行きました。求道心などありません。姪が出演するので、行ったのです。そのときの気持ちを表現するのは難しいのですが、なぜか、子どもたちの劇の真っ最中に、僕も羊飼いや天使たちと一緒にイエスに会わなければ、と切実に思いました。会衆が『きよしこの夜』を歌い終わった時には、立つこともできず泣いていました。」彼はもう一度、隣の友人をチラリと見て言いました。「彼は、家族を先に帰しました。そして、イエスを心に迎える祈りを導いてくれたのです。あの夜、僕は、最高のクリスマスプレゼントをもらいました。」すると、隣の友人がすくっと立ち上がって言いました。「みなさん、それが僕にとっても、一番嬉しかったクリスマスプレゼントです。」

クリスマスの光

毎年、クリスマスの季節になると、シンガポールの観光名所、オーチャード・ロードは、光と色彩のワンダーランドに変わります。このライトアップの目的は、大勢の観光客に来てもらって、沿道の店でお金を使ってもらうことです。楽しい雰囲気、クリスマス・キャロルの歌声、大道芸などを目当てに、多くの人がやって来ます。

パン

私はメキシコの小さな町に住んでいますが、ここでは毎日、朝と夕方にパン売りの独特な呼び声が聞こえます。パン売りは大きなかごを自転車に乗せて、焼きたての菓子パンや塩パンなどを売りに来ます。都会に住んでいたときは、自分でベーカリーに行って買わなければならなかったので、今、焼きたてパンが家の戸口で買えるのは、とてもうれしいです。

新たな目的

仕立屋のジェイコブ・デイビスは悩んでいました。1800年代、アメリカ西部はゴールドラッシュの最盛期で、金を採掘する人のズボンはすぐに擦り切れました。そこで、彼はリーバイ・ストラウスが所有する地元の織物会社でテント用生地を買い、厚くて丈夫なズボンを作りました。これがジーンズの起源です。今日、リーバイスを含むデニムジーンズは世界中で愛用されていますが、そもそもは、テント用生地が新たな目的で使われたのです。

心の修繕

先日、洋服のサイズを直してもらうために、リフォームショップに行きました。その店の壁には色々なものが貼ってあり、それを見て感心しました。そのひとつには、「私たちは服を修繕しますが、心を修繕できるのは神だけです」と書かれていました。その横には、復活のキリストが、悲嘆にくれるマグダラのマリヤに声をかけようとしておられる姿を描いた絵もありました。「祈りが必要なら、お知らせください。ともに祈りましょう!」と書いた紙もありました。

わたしはあなたとともにいる

キリスト教出版社のインターンだったとき、クリスチャンになった人の証を雑誌に書きました。劇的な救いを通して以前の生活と決別し、喜んでイエスを人生に迎えた人の話です。ところが発刊の数日後、「気をつけろよ!お前は監視されているぞ。あんなことを書くなら命の保証は無いぞ」と、脅迫電話を受けたのです。キリストを示して脅されたのは、そのときだけではありません。トラクトを配っていて、「それを持って失せろ!さもないと…」と脅されました。2回とも恐ろしい経験でしたが、単なる脅迫でした。一方、脅迫だけでは済まなかったクリスチャンも大勢います。場合によっては、敬虔な生き方をしているというだけで、迫害されることもあります。