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生きる目的

妻を亡くし、隠居の身。子どもたちは巣立ち、家庭を持って忙しくしている。静かにぼんやりと日々をやり過ごしている。「もう十分に生きた。これといった目的もない。いつ天に召されてもいい」。ハロルドは娘にそう話していました。

メール、トラブル、勝利

世情不安や治安の悪さ、不衛生も何のそのと、ジミーは世界の最貧国で働く宣教師夫婦のもとに出かけました。悪戦苦闘は地元の仲間に届くショートメールから分かります。「みんな、祈って! この2時間で10キロしか進んでいない……車は10回以上もオーバーヒートした」。車のトラブルで、聖書の話を待っていた人たちのもとに到着したのは日付の変わる直前でした。彼らは5時間も待っていたのです。次は興奮したメッセージが届きました。「驚くほど素晴らしい交わりだったよ。……祈ってもらうために12人ほどの人が前に出てきた。すごく力をもらった!」

物語を伝えなさい

リンカーン大統領の息子、ロバート・トッド・リンカーンは、3つの重大事件の現場に居合わせました。自分の父の臨終、そして、ガーフィールド、マッキンリー両大統領の暗殺現場です。

信仰の種

昨春、庭の芝生のエアレーションをする前夜、強風が吹いてカエデの種が落ちました。エアレーションとは、固まった土に穴を開けて、土壌の通気を良くすることです。結果として、私は何百というカエデの種を庭に植え込んでしまい、たった2週間で、芝生の中にカエデの幼木の森ができていました。それを困ったものだと思って見ていたのですが、ふと、たった1本の木がこんなに多くの新しい命を生み出したと気付き、感動しました。

機会を捉える

シン・イーは大学入学前の長期休暇に高校生伝道の団体でボランティアをしようと決めました。しかし、時期が悪いように見えました。コロナ禍で人との接触が難しかったからです。ところが、シン・イーはよい方法をすぐに見つけました。「いつもなら、未信者の学生には学外で声を掛けて、ファストフード店やショッピングモールで会うのですが、今回はクリスチャンの仲間とズームで互いのために祈り、未信仰の学生たちには電話をかけました」

兄弟サウロ

交換留学生になった時、私は「あの国以外に遣わしてください」と祈りました。行く先は未定でしたが、行きたくない国ははっきりしていました。その国の言葉はできず、国民性や習慣に関しても偏見を持っていました。

聖書を学ぶ

最初は1877年にカナダのモントリオールで、続いて1898年にはニューヨークで、それは始まりました。1922年までには、北米の約5千カ所で、子供の夏季聖書キャンプが開かれるようになりました。これが、バケーションバイブルスクール(VBS)の前身です。VBSの先駆者たちは、若者が聖書を知ることを強く願っていました。

ソクラテスクラブ

ソクラテスクラブは、1941年、キリスト者と無神論および不可知論者の議論の場としてオックスフォード大学に設立されました。キリスト教系以外の大学で宗教論議をすることは欧米では珍しくありません。しかし、著名な学者でキリスト者のC・S・ルイスが、議長を15年間も勤めたことは驚きです。ルイスは自分の考えが試されることをいとわず、キリスト教は精査に耐える、合理的で信頼に足る証拠があると信じていました。

福音のために

ネルソン・ベルは故郷バージニア州の医科大学を1916年に卒業し、その年の終わりには新婚6ヶ月の妻と中国に移り住みました。弱冠22歳で、人口200万人以上の地域で唯一の病院の外科医となりました。その後、彼は家族と共に24年間その地に住み、病院運営、手術、福音伝道をしました。当初、外国人に不信感を抱く人々は、彼を悪魔呼ばわりしていましたが、後には「中国人を愛するベル」と呼びました。娘のルースは、伝道者ビリー・グラハムの妻となりました。ネルソンは優秀な外科医であり聖書の教師でしたが、彼が多くの人々をイエスに引き寄せたのは、その有能さではなく、彼の品性と聖書の教えを実践する生き方でした。