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死を意識して謙遜に

古代の学者ジェロームとテルトゥリアヌスは、ローマ帝国の華々しい戦勝パレードについて語ります。群衆は熱狂して喝采し、凱旋将軍は最高の栄誉に酔いしれました。しかし、将軍の後ろにはしもべがいて、「メメント・モリ」(死ぬことを忘れるな)と常に耳元でささやいていたそうです。栄光のただ中での必要は謙遜でした。死を意識して、それを得ようとしたのです。

謙遜な姿勢

ヤンの優しい夫は、彼女が会合に出かけるとき、「手を後ろで組んでいれば大丈夫だよ」と言います。自分が人の関心を買おうとしたり、場を支配しようとしたりしていると気付くと、彼女はそうします。謙虚に人の話を聞く気持ちになるからです。自分の前にいる人を愛し、謙虚になって聖霊に用いられなければ意味がないと思い出すのです。

偉い

北部イングランドの人々は7世紀の聖カスバートを敬愛します。その地域一帯に福音を伝え、国王に助言し、国政に影響を与えました。ダラムは、彼の栄誉をたたえて建設された都市です。しかし、その偉大さは、疫病が流行ったとき、別の形で表れました。カスバートは村々を巡って人々を慰めました。ある時、祈り忘れた人はないかと確かめると、子どもを抱いた女性がいました。彼女は既にひとりの息子を亡くし、その子も瀕死の状態です。カスバートは、高熱の子どもを抱いて祈り、額にキスし、「恐れないで、あなたの家族は、もう誰も死なない」と告げました。子どもは助かったと言われています。

走らず、歩きなさい

子どもたちを車で学校に送るとき、大きなヘッドフォンをつけ、カラフルなハイソックスを履いて大きく手を振り大股で足早に歩く女性を見かけます。これはパワーウォーキングというスポーツで、常にどちらかの足が地面に接していなくてはなりません。足を速く動かしながらも、走りたいという身体の自然な動きを抑制します。見かけによらず、ランニングやジョギングと同程度のエネルギーとパワーを要します。高い集中力とパワーを制御する力も要します。

愛に満ちた懲らしめ

父は50年以上、編集の仕事に携わりました。文法的に正しく、筋の通った、分かりやすく読みやすい文章にすることに情熱を傾けましたが、訂正は朱ではなく、緑色で行いました。緑のほうが「優しい」からだそうです。厳しく朱を入れられると気に触る作家もいるでしょう。父の目的は、より良い文章を提案することだったのです。

神ではない

自分が高慢ではないかセルフチェックすることを、C.S.ルイスは『キリスト教の精髄』の中で勧めています。ぞんざいに扱われる、無視される、見下される、自慢を聞かされる。このような扱いを受けたとき、どれほどの嫌悪感を抱くかがひとつの指標です。ルイスは、高慢は諸悪の根源で、家庭や国家を惨めな状況にすると考えました。それは「霊の癌」で、愛、満足、良識を食い尽くすと述べました。

真の奉仕者

紀元前27年、ローマ帝国の執政官オクタヴィアヌスは元老院に全権を返還しました。彼は内戦を鎮め独裁者となり、国を治めていましたが、その権力は疑念にさらされていました。それで権力を返したのです。その結末は、全権を元老院から譲渡され、ローマ市民への奉仕者と呼ばれ、「尊厳者」の意味を持つ「アウグストゥス」という称号を与えられました。

借りた靴

高校3年生のゲイブは、カリフォルニア州で2018年に発生した大規模な森林火事で被災し、クロスカントリーの州大会予選に出場できませんでした。州大会を目指して4年間頑張ってきたのに、そのチャンスを失ったのです。大会委員会は状況を考慮し、ゲイブが出場資格時間内で走れるかを審査するという救済措置を講じました。しかし、彼は、ライバル校の校庭でひとりで走らなければなりません。その上、競技用シューズは火災で黒焦げになっていたので、普通の運動靴で走らなければなりませんでした。

誰のため?

メキシコのある町の沿道で、群衆が手に旗を持ち、紙吹雪を降らせて、ローマ教皇を待っていました。すると、その道の中央を小さな野良犬が歩いています。仔犬は人々の歓声に応えて笑っているかのように見えました。私は、その写真を見て大笑いしました。どんな犬にも晴舞台があってもよいかもしれません。