教授の告白
学生の文章力の無さに教授で作家のデイヴィッド・フォスター・ウォーレスは愕然としました。しかし何とかしなくてはと思ったとき、衝撃的な問いが立ちはだかりました。「自分のように独善的な教授が上から目線で何かを言っても学生が耳を傾けるだろうか…。」
お先にどうぞ
年の若い人が年配の人に譲るのが礼儀だという文化があります。年齢に関係なく、地位の低い人が高い人に譲るべきという文化もあります。しかし、どんな文化で育とうとも、自分が上の立場にいるときに進んで相手に譲るのは難しいものです。
聖なる心の賛美
友人のマイルナは外国旅行中、礼拝をささげるために教会に行きました。その教会の人たちは会堂に入るとまず、正面から顔を背けてひざまずき、祈っていました。人々は礼拝の前に、自分の罪を神に告白していたのだそうです。
どうぞお先に
チベット出身のシェルパ、ナワン・ゴンブとアメリカ人の登山家、ジム・ウィッタカーは、1963年5月1日にエベレストに登頂しました。山頂が近づいたとき、ふたりはそれぞれ思いました。頂上の土を先に踏んだ方が栄誉を受ける…。ウイッタカーはゴンブに先に行くようにと言いましたが、ゴンブは「ジムさん、あなたが先ですよ」と笑顔で辞退しました。それで、同時に山頂の土を踏むことにしたのです。
賢者の言葉
姪の夫が最近、ソーシャルメディアのサイトに次のような書き込みをしました。「やめておきなさい、とささやく小さな声がなければ、私はオンライン上でもっとたくさんのことを言うでしょう。クリスチャンならば、その小さな声は聖霊だと思うかもしれませんが、それは妻のハイディの声です。」
裏方
私たちの教会が開く宣教イベントのクライマックスは、町中の人を巻き込んだ礼拝でした。礼拝の最後に、青年たちのミュージック・チーム、カウンセラー、そして、牧師や伝道師たちがステージに上がり、会衆は拍手喝采で、彼らの労をねぎらいました。ところが、ほとんど目立たない人がいました。その人こそ、この企画の推進役なのです。後日、彼を見かけたので、「イベントが成功してよかったね。お疲れさま。でも、君は表に出ないんだね」と言いました。すると彼は、「僕は裏方をするのが好きなんだ」と答えました。彼は目立つことを求めません。こういう人こそ評価すべきです。
私のやり方
小さな男の子がふたりで、棒と糸を使った複雑なゲームで遊んでいました。数分後、年上の子がもうひとりに向かって不機嫌そうに言いました。「そうじゃない。〇〇君は、違うんだ。これは僕のゲームだから、僕のやり方でするんだ。〇〇君には、もうやらせない!」あらまあ。自分のやり方で…という欲望は、幼いときから始まります。
人を惑わす流れ
科学ジャーナリストのシャンカール・ヴェダンタムは自著「隠れた脳」の中で、海で泳いだ体験を記しています。その日、海は穏やかで、すいすい泳げるように感じて、湾から外海まで遠泳しました。ところが、岸に戻ろうとすると、なかなか進みません。彼は潮の流れにだまされたのです。楽々と泳げたのは彼の力ではなく、潮の流れに乗っていたからでした。
愛をもって聞く
バーモント州に住んでいたころ、ある夏の主日の夕拝で、若い宣教師が話をしました。彼ら夫婦が派遣された国には宗教対立があり、子どもを連れていくのは危険すぎました。それで娘を寄宿学校に託したのですが、置いていかないでとすがられ、胸がかきむしられるようだったと話しました。