難民をもてなす
戦禍を逃れてベルリン駅に着いた多くのウクライナの女性と子どもたちは驚きました。あなたに避難場所を提供すると書いた紙を手に、多くのドイツ人家族が待っていたのです。「我が家は2人、受け入れ可能!」「大部屋あります」。なぜこんな親切をするのかと尋ねられた女性は、ナチスから逃げた母と同じような境遇の人を助けたいと答えました。
予想外のことをなさる神
私たち大勢の大学生は頭を垂れました。講師は献身の祈りを導き、国外宣教に導かれていると感じた学生は前に出るように促しました。私は友人のリネットが席を離れる気配を感じました。彼女はフィリピンで主に仕える約束をしたのです。私は立つように促されませんでした。米国にも神を知る必要のある人たちがいるので、自国で神の愛を伝えたかったのです。ところが10年後、私は英国に移って、神に賜った隣人たちの中で神と人に仕えていました。神が予想外の冒険に招かれていると悟り、思い描いていた未来図を転換させたのです。
親切な行い
バレリーは流産で子を失い、ずいぶん経ってガレージセールをしました。地元の木工職人のジェラルドはそこでベビーベッドを買いましたが、セールの背景を知りました。そして、そのベッドで子どもの形見の品を作ってあげようと思いました。翌週、彼は美しい長椅子を贈りました。「世の中捨てたもんじゃないわ」とバレリーは言いました。 「こんな親切な人がいるのだから」
いつくしみ深き友
しばらく会えない間に、旧友はがんだと告知され、治療を始めました。彼の住む州に行く用事が思いがけずでき、再会することになりました。待ち合わせの店に入り、顔を合わせるや、2人の目に涙が溢れました。もう長く同じ部屋で語らっていません。そして今、死の気配が人生のはかなさを暗示しています。一緒に笑ったり、ふざけたり、冒険したり、泣いたり……。長年の数々の思い出がよみがえり、涙がとめどなく溢れました。見つめ合う目から流れるのは、互いの間にある大きな愛でした。
証人
ヘンリー・W・ロングフェロー(1807-1882)の詩『証人』は、沈没奴隷船を描いています。彼は「鎖につながれた骸骨」とつづり、無数の無名の犠牲者を悼みます。そして「これらは奴隷の悲痛な叫び。彼らは奈落の底からにらみつける。名もない墓から叫ぶ。我らはその証人!」と終わっています。しかし、この証人たちは、誰に向かって語るのでしょう。沈黙の証言など無駄ではありませんか。
神の永遠の教会
子ども連れの若い女性が来たのは礼拝の終了間際でした。「教会は終わりですか」ときかれたので、受付の人は、近くの教会の第2礼拝がもうすぐ始まると伝え、送りましょうと申し出ました。その女性は、とても感謝している様子でした。受付の人は後からこう思いました。「教会は終わったか。いや、決して終わらない。神の教会は永遠に続く」と。
アンバサダー
企業はネット時代の熾烈(しれつ)な競争を勝ち抜こうと知恵を絞っています。例えば、米国のスバルです。スバルの車に乗る人は、リピーターになることで有名です。そこでスバルは、自社製品の愛用者を「アンバサダー」に任命する制度を作りました。ウェブサイトによると「スバル・アンバサダーはスバル車について無償で熱く語り、スバルというブランドの将来の一翼を担う選ばれた人たち」ということです。会社は、スバル車に乗っていることが自分らしさの現れという人、その喜びを誰かに話したくてしかたがない人を求めているのです。
粘り強く祈る
お針子のアン・ロウは、1917年、有名な服飾デザイナー学校に合格し、フロリダから意気揚々とニューヨークにやって来ました。ところが、黒人とは知らなかったと言われ、追い返されそうになりました。しかし、アンは「神よ、ここにいられますように」と祈って踏ん張りました。根負けした校長は入学を許可しましたが、人種分離政策のためにアンは教室には入れず、廊下で授業を聞きました。
私の兄イエス
突進してきた猛犬の前にちゅうちょなく飛び出し、妹の盾になったブリジャー・ウォーカーはわずか6歳でした。顔を90針も縫う大けがをしましたが、「もし誰かが死なねばならないのなら、それは僕だと思った」と語りました。感謝なことに、形成外科医の尽力で彼の顔は再建されました。そして、最近の兄妹の写真も、ブリジャーの妹思いを証します。