チャンスをつかむ
私は運動不足になりがちなので、最近、万歩計を買いました。簡単な装置ですが、驚くほどに動くことに対するモチベーションを上げてくれました。ソファから渋々立つのではなく、歩数を稼ぐチャンスだと思うようになったのです。コップに水を入れて子どもに持って来てあげるというちょっとしたことが目標達成につながるのです。万歩計は、動くことに対して、その見方とモチベーションを激変されてくれました。今や私は、歩数を稼ぐ機会を常に狙っています。
押さえつける言葉
ある日、大学の哲学の授業で、ひとりの学生が教授の見解に対し怒った口調で意見を述べました。すると教授は、彼の発言に感謝して、次の人の意見に移りました。授業の後、学生たちは驚いて、なぜ反論しなかったのかと教授に尋ねました。すると彼は「私はね、相手を押さえつけるようなことを言わないように自分を律しているのだよ」と答えました。
愛で応答する
カリッサは2016年8月21日、ルイジアナ州の洪水の写真をSNSに投稿しました。翌朝には被災地の人が支援を要請としていると書き、5時間後には、夫婦でボランティアに行くので、1600キロを旅して一緒に行く仲間を募ると投稿しました。その後24時間も経たないうちに、13人が現地に向かって出発しました。
膨らむ感謝
もっと感謝する心を養いたくありませんか。17世紀のイギリスの詩人、ジョージ・ハーバートは「感謝」という詩の中で「神、汝、いかに多くを与えたもう。さらにひとつ、感謝する心を下したまえや」と書いています。これが神の祝福だと、自分に今あるものを意識することが、感謝の心を養うと気づいていたのです。
調和を追い求める
私は1950年代、皮膚の色で学校、レストラン、公共交通、居住地が分けられている環境で育ち、人種差別や隔離政策に疑問を感じたことはありませんでした。しかし1968年、陸軍の訓練を受けたとき、その世界観が激変しました。部隊の若者たちは即、多様性を受け入れ、協力しなければ、国を守れないと気づいたのです。
しもべの心を養う
忙しい一日が終わって帰宅すると、別の仕事、つまり「イクメン」という仕事が始まります。家族は「お帰り!」と言うやいなや「パパ、夕食は何にする?」「パパ、お水ちょうだい」「一緒にサッカーしよう!」です。
ひと区切りをつける
年の瀬が迫ると片付かない仕事に落ち込むことがあります。家事や仕事には終わりがなく、今日できないことは明日に…と延々とつづきます。しかし、信仰の旅路では時々区切りをつけ、神のご真実と完了した仕事を思って、祝うことが大切です。
神の助けによって
加齢で関節痛がひどくなり、寒い日は大変です。老いに負けたような気分になります。そんなわけで老人カレブは私の英雄です。彼は約束の地カナンを偵察したスパイのひとりでした(民13-14章)。仲間たちがモーセに否定的な報告をしたのに、彼とヨシュアだけは神が勝利をくださると言いました。ヨシュア記14章は、割当地を受け取るときがカレブに来たと語ります。しかし、そこには未だ追い払うべき敵がいました。カレブは戦いを若い者に任せて隠居したりせず、次のように言いました。「あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう」(ヨシ14:12)。
私ではない
アルトゥーロ・トスカニーニは20世紀の偉大な指揮者ですが、功績をひけらかさない人としても知られています。ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の指揮者としてベートーヴェンの第9交響曲のリハーサルを行ったときの逸話が、デヴィッド・ユーアン著「ディクテイターズ・オブ・ザ・バトン」に記されています。団員たちはトスカニーニを大喝采しました。しかし「私ではない…ベートーヴェンだ!トスカニーニはつまらん者だ」と涙を浮かべ、声をつまらせました。