永遠に生きつづける
トーマス・カーライルは、19世紀初頭、哲学者のジョン・スチュアート・ミルに評論してもらうために、自著の原稿を送りました。偶発的か故意だったのかは不明ですが、なぜかその原稿は火にくべられてしまいました。唯一の原稿でした。しかし、カーライルは不屈の精神力で、再度、執筆しました。物語は彼の心に残っていたので、炎で焼き尽くされなかったのです。カーライルの不朽の名作『フランス革命史』は、こうして誕生しました。
柵を動かす
第二次世界大戦中のこと。その牧師は寝付けませんでした。戦死した仲間を埋葬してほしいと数名の兵士たちがやって来たのですが、教会墓地に埋葬するのは教会員だけだと答えました。すると彼らは、友人を墓地の柵の外に葬りました。しかし、翌朝、仲間の墓が柵の外にありません。牧師は言いました。「ここです。昨日言ったことを後悔したので、深夜に起きて、柵を動かしたのです。」
耳を傾けて
客船カルパチア号の無線通信士ハロルド・コッタムが、1912年4月15日午前12時25分に受け取ったタイタニック号の通信は、「すぐに来てくれ。氷山に座礁した」でした。彼らは現場に急行し、706名の命を救いました。後日、船長アーサー・ロストロンは米国上院の公聴会で、「すべて神の御業です。無線通信士は仕事を終え自室で着替えながらたまたま聞いていたのです。もう10分遅かったら、眠っていて、私たちが遭難を知ることはなかったでしょう」と証言しました。
岩の上の家
アメリカのある州では、3万4千もの家が倒壊する恐れがあります。問題は土台です。土台を固めるコンクリートに、経年劣化を早める鉱物を含む土壌から採掘された石を使ってしまったからです。この過失により、すでに600軒の土台が崩れ、被害は年々増えると予測されています。
問題は内側に
数年前、キツツキが家の壁を叩くのを見て、家の外壁に問題が起きたと思いました。ところがある日、息子と屋根裏に上ると、鳥が目の前を飛んでいったのです。問題は壁の外側ではなく内側で、ことのほか深刻でした。
優しい叔母さん
子どもの頃、ベティ叔母さんが大好きでした。家に来るとおもちゃやおこづかいをくれます。泊まりに行くと、アイスクリームは食べ放題で、食卓に嫌いな野菜は上りません。夜更かしもOKです。叔母さんの優しさは、神の寛大さを映すようでしたが、子どもの健全な成長には厳しさも必要です。規則を定め、行儀や態度を教え、それを守りなさいと促す親が必要です。
約束を守るお方
ジョナサンは誓約の重大さに圧倒され、結婚式の後も動揺していました。披露宴の後、新婦のラションと礼拝堂に戻り、神の助けを得て妻を愛しいつくしめるように祈りつづけました。2時間以上もです。約束を守り切れるかという不安は、ジョナサンが人間の弱さを自覚していたからです。しかし、神にその不安はありません。この神は、アブラハムの子孫を通じて全人類を祝福すると約束されました(ガラ3:16)。
しもべは聞きます
タイタニック号の沈没の直前、別の船の無線技師シリル・エヴァンズは、氷山地帯が迫っているとタイタニック号の無線技師に告げようとしました。しかし、先方は乗客の私信の取り次ぎに忙しく、「黙れ!」と声を荒げました。仕方なくエヴァンズは無線を切って就寝し、その直後、悲劇が起こりました。タイタニック号のSOSに応答はありませんでした。誰も聞いていなかったからです。
コツコツやる
神は世間が気にも留めない人を好んで用いられます。18世紀、寒村に生まれたウィリアム・ケアリーは、大した教育も受けず、仕事もうまくいかず、貧しい暮らしでした。しかし、神は彼に福音宣教の情熱を授け、宣教師にされました。ケアリーは、ギリシャ語、ヘブル語、ラテン語を学び、ついには新約聖書をベンガル語に翻訳しました。今日では「近代海外宣教の父」と呼ばれていますが、甥に宛てた手紙には、自身の能力が謙虚に綴られています。「私はコツコツ頑張れる。辛抱強く耐えられる」と。