神の呼びかけ
ある朝、私の娘は息子をあやそうと、少しだけ携帯電話を持たせました。するとすぐさま私の携帯が鳴り、受話器の向こうに孫の声が聞こえました。どうやら偶然、私の電話番号の短縮ボタンを押したようです。孫は生後11か月ですが、私の声が分かったようです。私は彼に大好きだよと話しかけ、私たちは「おしゃべり」をしました。それは忘れがたい思い出です。
真の友であること
詩人サム・ウォルター・フォス(1858-1911)は「道路わきの家」と題した詩で「道路わきの家に住ませてもらえるなら、皆の友人になりたい」と書きました。私も同感です。私は、人にたたかれ、不当に扱われ、傷ついた旅人、幻滅という人生の重荷を負っている旅人の友となり、彼らが元気を回復し爽やかに旅をつづけて行けるように、温かくもてなしてあげたいのです。私は、彼らの問題を解決することも、彼らの弱点を直すこともできません。しかし、彼らを祝福することはできるはずです。
5分前ルール
母と子の間に5分前ルールがある家の話を読みました。子どもたちは毎朝、学校に行く5分前に準備を済ませて母親の周りに集まります。すると、母親は子どもたち一人ひとりの名前を言って、神がその一日を祝福してくださるように祈ります。そして「行ってらっしゃい!」と言うと、子どもたちは元気に駆け出すのだそうです。近所の子どもが通りかかると、その子も祈りの輪に加わりました。子どもの一人は、何年も経ってから当時を振り返り、その日のために祈ることの重要性をこの体験から学んだと語っています。
あきらめないで
信仰の先輩で50年来の友であるボブ・フォスターは、私を支え続けてくれます。人生最悪の時でさえ、彼の友情と励ましに助けられました。
いつも耳を傾けて
父は寡黙な人でした。若い時の長い兵役で耳を痛め、補聴器をつけていました。ある日の午後、私たちのお喋りが過ぎると思ったようです。それで「安らぎと静けさが欲しい時は、こうすれば十分だ」と冗談まじりに言うと、補聴器のスイッチを切ってしまいました。そして、両手を頭の後ろで組んで静かに目を閉じました。その様子を見て、私たちは大笑いしました。
見えないところで
娘はSNSで友だちの返事を待っていました。スマホの画面には既読マークがついています。まだ数分しか経っていないのにイライラし、その苛立ちはやがて「返事が来ないのは、嫌われちゃったから?」という不安に変わりました。そして、やっと返事が来ると、ホッと胸をなで下ろしました。娘に返答するために先ずやらなければならないことが、その友だちにはあったのです。
素晴らしい神の御顔
我が家の4才の息子は絶えず喋っていて質問の嵐です。息子と喋るのは大好きですが、彼は私の方を見ずに話しかけるという困った癖を身につけました。「聞こえないよ。話すときはちゃんとママの方を見てね」と注意することが増えました。
目立たない英雄たち
聖書には不思議な記述があります。例えば、神の民がアマレクに攻撃された時、モーセは丘の頂に行って神の杖を高く上げましたが、なぜでしょう(出17:8-15)。理由は書かれておらず、ただ、モーセの手が上がるとイスラエルが優勢になり、下がるとアマレクが優勢になったとだけ記されています。モーセが疲れると、兄のアロンとフルという人が彼の腕を支え、彼らは勝利しました。
何ひとつ隠されてない
世界中には2億4千5百万台の防犯カメラが設置され、その数は毎年15パーセントずつ増えているそうです。それに加え、膨大な数の人々が、誕生祝いから銀行強盗に至るまで、日々スマートフォンで写真を撮っています。安全強化を支持しようが、プライバシーの侵害を非難しようが、現実はみな、カメラだらけの世界で生きているのです。