愛に動かされて
ジムとレイニーダは大学生時代に恋に落ち、結婚して幸せに暮らしていました。ところが、レイニーダの様子がおかしくなったのです。迷子になったり約束を忘れたりします。彼女はわずか47歳で、若年性アルツハイマー病と診断されました。主たる介護者として10年間彼女の世話をしたジムは次のように語りました。「僕は、結婚式で誓いを立てた時には思いもよらなかった形で妻を愛し、彼女に仕えることができた。認知症がその機会をくれたんだ」
リスクを冒す価値がある
理由も言わず長年の友が去り、私は気持ちを整理しようと、C.S.ルイスの『四つの愛』を再読しました。ルイスは、傷つくことをいとわないのが愛だと説き、そこに「安全な投資」はないと語ります。それを読んで、ヨハネの福音書21章の記述について、以前とは別の感慨を持ちました。
みこころにかなう人
アジア系の銀行の面接試験では「成功を定義し、それを成し遂げる方法を述べてください」という質問がよくあるそうです。シティバンクのシンガポール支店のCEOは言います。「その人の成功に対する動機付けが知りたいのです。そうすれば、その人の芯の部分、そして価値観を知ることができます。」
優しい叔母さん
子どもの頃、ベティ叔母さんが大好きでした。家に来るとおもちゃやおこづかいをくれます。泊まりに行くと、アイスクリームは食べ放題で、食卓に嫌いな野菜は上りません。夜更かしもOKです。叔母さんの優しさは、神の寛大さを映すようでしたが、子どもの健全な成長には厳しさも必要です。規則を定め、行儀や態度を教え、それを守りなさいと促す親が必要です。
ピンを並べる
友人のエリンが足首にタトゥーを入れました。ボウリングのピンが倒れている絵柄です。彼女は、サラ・グローヴスの「ピンを並べる」という歌から発想したと言いました。ボウリングのピンは、並べても並べても倒されます。この歌は、一見無意味に見える日常の繰り返し作業や雑務の中に喜びを見つけようと、聴く人たちを励ますのです。
洗濯、掃除、皿洗い。私たちの生活には、片づけたと思ったら、始めなければならない繰り返し作業がたくさんあります。この種のイライラは古くからあるもので、伝道者の書にも同様の葛藤が記されています。著者は日々の労苦はすべてが空しいと語り始めます。「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる」(1:9)ので無意味だと語ります。
しかし、彼は私の友人のように、それらのことに喜びと意味を見いだすことができました。神を畏れ敬い、神の命令を守るなら、最終的に人生は満たされると思い至ったのです(12:13)。神は日常のありふれたことにも目を留めてくださり、忠実さに報いてくださるお方だと分かるとほっとします(14節)。
あなたが並べ続けている「ピン」は何ですか。終わりのない仕事に疲れを感じ始めたなら、立ち止まって、そのひとつひとつは神への愛のささげ物だと意識しましょう。
見えるのは唯一
クリスタは凍てつく湖岸に立ち、雪におおわれた美しい灯台をながめていました。写真を撮ろうとスマホを取り出しましたが、メガネが曇って何も見えません。それで、カメラを灯台に向けて当てずっぽうに3度、シャッターを押しました。しかし後で見ると、自撮りモードになっていたのです。彼女は笑って「自分が中心。見えるのは、唯一自分だけ」と言いました。それを聞いて、私はある失敗について考えました。私たちは、よく自己中心になって、神のご計画の全体像を見失います。
多くの美しいもの
宣教師で画家でもあったリリアス•トロッターは、死の直前、窓の外に天の戦車の幻を見ました。彼女の伝記によると「たくさん美しいものが見えるの?」と尋ねた友人に「ええ。本当にたくさんの美しいものを…」と答えたそうです。
どこまでも
結婚式の写真を見ると、私は「どこまでも彼について行きます」という顔をしています。私たちは夫婦になって40年近く経ちます。良い時も大変な時もありましたが、互いに対する愛と献身で強く結ばれています。私は年ごとに「どこまでも彼について行きます」と献身の決意を新たにしてきました。
貴重な賛美
私は文筆活動で神を礼拝し、神に仕えています。病気で動けなくなってからは、なおさらそうです。ですから、書いた物を酷評されたときは落胆し、自分の小さなささげ物の価値を疑いました。