わたしはあなたとともにいる
キリスト教出版社のインターンだったとき、クリスチャンになった人の証を雑誌に書きました。劇的な救いを通して以前の生活と決別し、喜んでイエスを人生に迎えた人の話です。ところが発刊の数日後、「気をつけろよ!お前は監視されているぞ。あんなことを書くなら命の保証は無いぞ」と、脅迫電話を受けたのです。キリストを示して脅されたのは、そのときだけではありません。トラクトを配っていて、「それを持って失せろ!さもないと…」と脅されました。2回とも恐ろしい経験でしたが、単なる脅迫でした。一方、脅迫だけでは済まなかったクリスチャンも大勢います。場合によっては、敬虔な生き方をしているというだけで、迫害されることもあります。
あなたの旅
私は1960年代という反抗的な時代に育ち、少年の頃は宗教に否定的でした。小さい頃から教会に行っていましたが、自分の信仰を持ったのは、大きな事故に遭った20代の前半でした。そしてイエスの愛を伝える人生を送り、それは正に人生の旅でした。
たましいの安らぎ
コンサートに来たというのに、やっかいな問題が頭から離れず、落ち着くことができません。しかし感謝なことに、それは長くつづきませんでした。美しい賛美歌に心が触れられていったからです。男性のアカペラ合唱団が、讃美歌298番「安かれわがこころよ」を歌いました。その歌詞を聴き、神だけが与えてくださる平安に思いを巡らしていると涙があふれてきました。
疲れ果てた人へのことば
父親が亡くなって数日後、30歳だったC.S.ルイスのもとに手紙が届きました。20年以上も前、彼の母親が病気で伏せったとき、亡くなるまで看病してくれた女性からでした。その人は、ルイスにお悔やみの言葉を述べるとともに、自分のことを覚えているかと尋ねました。ルイスは「親愛なる看護師のデービソンさん。あなたを覚えているかですって?当然ですよ」と返事をしました。
力を抜く
太陽がギラギラとプールに照りつけています。ずっと泳いでいる生徒たちに、インストラクターがこう言っているのが聞こえてきました。「みなさん、疲れてきましたか。水の深いところで疲れてきたら、力を抜いて浮いてみてください。」
すべては神から出たもの
私は18歳で就職し、コツコツ貯金する大切さを学びました。そして、大学の学費の一年分が貯まったとき、母が手術を受けることになりました。私は、自分の計画よりも母の手術が大切だと思って、その貯金を母の手術代にしました。そのとき、以前に読んだエリザベス・エリオット著の「情熱と純潔」の一節が、新たな意味を持ちました。
しゃぼん玉
アトランティック・シティーの遊歩道を夫婦で歩いていたとき、男の子が脇を駆け抜け、しゃぼん玉が降ってきました。それは、重苦しい一日に訪れた楽しい時間でした。私たちはその日、義理の兄を病院に見舞いました。また、なかなか医者に診てもらえずに困っている、姉を助けようと努力していました。海岸べりの遊歩道を歩きながらひと息つこうとしつつも、彼らの必要の大きさに圧倒されていました。 そこへしゃぼん玉が降ってきました。小さな男の子が、海風の吹く中で気まぐれに飛ばしたのですが、私にとっては大きな意味がありました。私はしゃぼん玉が大好きで、事務所の机の中には石鹸水の小瓶を常備しています。笑顔が必要なときに使うためです。
神に名前をつける
クリストファー・ライト師は、著書「理解できない神」で、神に名前をつけた最初の人はハガルだと述べています。ハガルの物語は、人間の歴史を嫌になるほど正直な視点で描いています。アブラムとサライは、神から息子を与えると告げられましたが、その日から長い月日が流れました。サライはどんどん年を取り、待ちきれなくなりました。そこで、神に「手を貸そう」と、当時の慣習に頼り、夫に奴隷のハガルを与えました。
父は知っておられる
ある暑い夏の夜、まだ4才の私は、床に敷いたマットの上で父の横に寝ていました。母は当時、赤ちゃんがいて、別室で寝ていました。故郷のガーナ北部は、いつも乾燥しています。暑くて体中に汗をかき、喉が渇いたので、父を揺り起こしました。すると父は真夜中なのに起き上がって、水瓶から水を汲んで飲ませてくれました。父はいつも、そうでした。あの夜のように、優しく面倒見の良い父でした。私に必要なものをいつも与えてくれました。