Category  |  神の愛

神には宝

彼の名前はデービッドですが、ほとんどの人は彼を「路上のヴァイオリン弾き」と呼びました。むさくるしい格好の老人でしたが、街頭でヴァイオリンを見事に演奏し、通行人に聞かせていました。聴衆が歩道に置かれた楽器ケースに小銭を入れると、演奏を続けながら、にっこりと会釈して感謝を表しました。

さばきに勝るあわれみ

口げんかしていた子どもたちが、相手のことを告げ口にやってきました。私はひとりずつ個別に、それぞれの言い分を聞きました。どちらにも悪いところがあったので、公平なさばきは何かと尋ねました。すると、どちらも即、罰を与えるべきだと提案しました。そこで私は、その公平なさばきを、言った本人に与えることにしたのです。すると子どもたちは不公平だと文句を言いました。相手をさばく公平な物差しと言っていたのに、それで自分がさばかれると、この様です。

先遣隊

友人は1600キロメートルも離れた町に移り住むことになりました。青森から下関に移るようなものです。そこで、夫が新居を探す、妻が引っ越しの支度をする、と夫婦で役割を分担することにしました。私は友人に、住む土地や家の下見にも行かずに引っ越して大丈夫なの、と尋ねました。すると彼女は葛藤が無い訳ではないけれど、何年もいっしょに暮らしていて、自分の好みや必要に夫が配慮してくれると分かっているので信頼していると言いました。

安心の毛布

スヌーピーの漫画に登場するライナスは優しく頭が良いのですが、いつも毛布を持っています。それで安心感を得ようとしているのです。私たちにも恐れや不安がありますから、彼と同じです。

私の助け主

長年、人々に感動を届け続けるブルックリン・タバナクル・クワイアー(米国の聖歌隊)のゴスペルに「私の助け」という曲があります。このもとである。詩篇121篇は、信仰告白から始まります。神は世界の創造主であり、この作者を助けるお方です(1-2節)。それは、安定であり24時間体制の守り(3-4節)、常時そばにいて(5-6節)すべての災いから(7節)今よりとこしえまで(8節)守ってくださるという告白です。

知られて、愛されて

多くの人、特に子どもたちに愛され、歌い継がれてきた賛美歌は、アンナ・B・ワーナーが1800年代に作った「主、我を愛す」です。この歌の英語の原詩は「イエス、我を愛す。我、それを知る」と歌います。

怒れる神?

ギリシャやローマの神話を大学で学んだ時、その物語の神々は、何と気まぐれで怒りっぽいことかと驚きました。その怒りに触れた人々の人生は、簡単に壊されてしまいます。

信仰を作り上げる記憶

礼拝堂に足を踏み入れ、大晦日の祝賀会に集まった人々を見回すと、様々な祈祷課題が思い出され感無量でした。私たちの教会はみんなで、子どもの非行、家族の死、失業、離婚などの悲しみを分かち合ってきました。一方で、神の恵みも体験しました。人が回心し、人間関係が癒されました。勝利や結婚、卒業、受洗も祝いました。子どもの誕生、養子縁組、献児式、その他にも多くのことがありました。

大きい世界、もっと大きい神

ミシガン州北部を車で走っていると「世界がこんなに大きいなんて、信じられないわ」と妻が言いました。赤道と北極の中間点、北緯45度線の標識を通過した時です。世界は大きく人間はちっぽけです。しかし、その世界も宇宙の一片のほこりに過ぎない小さな惑星です。