両手を大きく広げて
夫婦で高齢の両親の介護をすることになったとき、手をつないで崖から飛び降りたかのように感じました。というのも、介護で直面する最も大きな問題は、神に心を探られ、品性を練られることだと知らなかったからです。神はこの特別な時を用いて、今までとはまったく違った形で、私たちをイエスの似姿に変えようとされました。
完全な愛
素行の悪い友だちができたことを心配して、10代の娘からスマホを取り上げ、どこに行くにも送迎している母親がいました。しかし親子関係は、ますます悪くなっていきます。ところが娘と話してみると、母親が好きだと言います。ただ、過干渉から自由になりたいと言うのでした。
愛情と古い靴
結婚して30年以上が経ち、お互いの考え方や言おうとしていることが分かるようになりました。妻が何かを言い始めて私が引き継いだり、その反対だったりします。最後まで言わなくても、ほんの一言や、視線だけで分かり合える場合もあります。
愛が明らかにされた
カナダ、オンタリオ州のウェランドに、「アイ・ラブ・ユー」と書かれた謎の看板が急にいくつも立ちました。記者のメアリーアン・ファースは、真相を調べようと取材を始めました。すると数週間後、公園の名前と日時の記された新しい看板が現れました。そこで、好奇心にかられた町の人たちに混じって、指定された時間に公園に行ってみると、顔を巧みに隠したスーツ姿の男性に花束を差し出され、プロポーズされたのです。メアリーアンは驚いて言葉もありません。この男性は、恋人のライアン・セントデニスでした。
イエスに寄りかかる
夜に頭を枕に沈めて祈るとき、イエスに寄りかかっていると想像することがあります。そのときは、弟子のヨハネについてのみことばを思い出します。ヨハネ自身が、最後の晩餐の場面を 「弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた」と記していますが(ヨハ13:23)、この「イエスが愛しておられた者」とは自分のことです。
良い時、悪い時、最悪な時
親友から「良いことも、悪いことも、最悪なことも、互いに打ち明けられるから、とてもうれしい」とメールが送られてきました。私たちは長年の付き合いで、成功も失敗も分かち合えます。お互いに欠点が十分あると承知しているので、うまくいかないことを打ち明けたり、うまくいったときは、いっしょに喜んだりします。
見ていますよ
フリーライターが互いのために作ったサイトに、「ちゃんと見ていますよ」とメッセージをくれた友人がいました。私はそれを見て緊張がほぐれ、平安な気持ちになりました。彼女は、私を見ていてくれます。私の恐れや葛藤、夢や希望を共有し、私を思ってくれているのです。
能力に関わらず大切な人
私たちの神は、私たちの奉仕や善行よりも、私たち自身を愛しておられます。神はもちろん、私たちが勤勉に働くことを願われます。また、神の造られた世界を、責任を持って管理することを望まれます。困っている人や社会的弱者と呼ばれる人に仕えたり、イエスの救いにまだ応答していない人を心にかけたりして欲しいと願われます。しかし、それはそれとして、神はやはり、私たちの奉仕や善行より、私たち自身を愛されるのです。私たちは、そういう神に仕えています。
印形
ある外国出身の人と知り合ったのですが、彼の上品な英語のアクセントと、小指にはめられた指輪が印象的でした。後に、それは単なる宝飾品ではないと教えられました。家系を示す家紋が刻まれていたのです。