神の恵み
最近乗った飛行機は、着陸の際にかなり揺れました。余韻は滑走路に降りてからもつづき、乗客の中には硬くなっている人もいました。そんなとき、後ろの座席の小さな女の子ふたりが、「わーい、もう一度!」とはしゃぎ、緊張がほぐれました。
十字架を握りしめて
偉大な説教者、チャールズ・スポルジョンは、キリスト教界の人材育成のために1856年、スポルジョン大学の前身となる学校を設立しました。校章には十字架を握る手が描かれ、ラテン語で「Et Teneo, Et Teneor」と記されています。これは「私は握り、握られている」という意味です。私たちはキリストの十字架をしっかり握って大胆にかかげると、スポルジョンは語ります。その理由は、十字架の力が私たちを捕らえているからであり、だれもがキリストの真理に捕らえられて欲しいと願うからだと、自伝で述べています。
石打ちの代わりに
姦淫の場で捕らえられた女性を、宗教指導者たちがイエスのところに連れて来ましたが、そこが神のあわれみの届くところだとは知る由もありませんでした。彼らの狙いは、イエスの評判を落とすことでした。イエスが彼女を自由にしなさいと言ったら、モーセの律法に反したと断言できます。一方、死刑に値すると言ったら、ついて来た民衆は、イエスがあわれみ深く恵みに満ちているとはもう思わなくなるでしょう。
最も大切なもの
イエスのまな弟子ヨハネが教える内容は、年齢を重ねるにつれ、絞られていきました。彼の3つの手紙の焦点は、もっぱら神の愛です。ピーター・クリーフトの著書「神の愛の真実を知る」の中には、ある伝承が記されています。それは、ヨハネの若い弟子が 「なぜ、それ以外のことを話さないのですか」と不平を言うと、ヨハネが「それ以外のものはないからだ」と答えたというものです。
神に名前をつける
クリストファー・ライト師は、著書「理解できない神」で、神に名前をつけた最初の人はハガルだと述べています。ハガルの物語は、人間の歴史を嫌になるほど正直な視点で描いています。アブラムとサライは、神から息子を与えると告げられましたが、その日から長い月日が流れました。サライはどんどん年を取り、待ちきれなくなりました。そこで、神に「手を貸そう」と、当時の慣習に頼り、夫に奴隷のハガルを与えました。
愛することを学ぶ
昔のヒット曲は「愛は世界を動かす」と歌っていますが、その一方で、愛は人を傷つきやすくします。感謝されないのに、傷つけられると分かっているのに、なぜ愛さなければならないのか、と思うときがあるかもしれません。しかし使徒パウロは、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。愛を追い求めなさい」(Ⅰコリ13:13-14:1)と、単純明快に述べています。
アバ、父よ
ゆかいな父の日のカードがありました。筋肉隆々の男性が、片手で芝刈り機を押し、もう片手で三歳ぐらいの娘の乗った子ども用の車を手慣れた様子で引っぱっています。女の子は騒音でうるさい庭で楽しそうです。こんな二刀流は少々危険かもしれませんが、これを描いた人は、父親だって仕事と子育てを両立できると言いたいのです。
どうして私が
ルツは外国人で、夫と死に別れ、貧乏でした。今日ならば、世界のほとんどの場所で、将来に希望の持てない、世間に無視されてしまう人かもしれません。
忘れられてはいない
長女のククアは、母の50歳の誕生日に集まった多くの人を前に、母は多くのことをしてくれたと語りました。子どもの頃は厳しい時代で、お金がありませんでした。シングルマザーだった母は自分を犠牲にし、大切な宝石や着物などを売ってククアを高校に行かせてくれました。どんなに苦しくても、決して自分たちを捨てなかったと彼女は涙ながらに感謝しました。