感謝する態度
痛みに耐える長年の疲れと自由に身体を動かせない苛立ちが極限に達し、私は不機嫌でした。過度な要求をしがちで、感謝を失っていました。夫の介護の仕方に文句を言い、掃除にケチをつけました。彼の料理は本当に美味しいのに、献立が単調だと大騒ぎしました。ついに夫が、私の不平に傷ついていると言うと逆ギレでした。どれほど苦しいのか分からないくせに…と。やがて、神は私が間違っていると気づかせてくださり、夫と主に謝罪しました。
私の願いではなく
カミルとジョエルの娘、8歳のリマは、稀なタイプの白血病だと診断され、やがて髄膜炎と脳卒中を併発して意識不明になりました。医療チームによると、助かる可能性は1パーセント以下で、覚悟するように勧められました。
まず神を信頼しなさい
水を怖がる子どもに泳ぎを教えようと、父は私をプールの中央の足が届かない所に連れて行きました。「パパ、離さないでね!」と言うと、父は「離さないよ。約束する」と言いました。そこでは父の支えだけが頼りです。そして、力を抜いて水に浮くことを学びました。
み腕の中は安全
空模様が怪しく洪水警報が発令されていました。家の近所にはいつも以上の台数の車が止まっています。スクールバスで戻って来る子どもを迎えにきた親たちの車です。バスが着いたとき、雨は既に降り出していました。私は、ひとりの女性が車から出てトランクから傘を取り出し、小さな女の子の方へ歩いていくのを見ました。そして、子どもが雨で濡れないように傘を差し掛け、車の方に戻っていきました。子どもを守る親の姿を見て、私は天の父の守りを思い出しました。
銃殺隊を前に歌う
ふたりの男が麻薬密売の罪で死刑判決を受け、刑務所で10年間を過ごしました。そして服役中に神の愛とイエスの贖いを知り、生き方が変わりました。死刑は銃殺でしたが、彼らは銃を構えた一群を前に「主の祈り」を唱和し「アメイジング・グレイス」(聖歌229番)を歌いました。彼らは信仰によって聖霊の力を受け、信じられないほどの勇気をもって死と向き合いました。
力づくで進まない
ボディービルの選手には、競技会に合わせた厳しいトレーニングサイクルがあります。まず、身体を大きく強くする時期、次に、脂肪を減らし筋肉を見えやすくする時期。そして直前になると、筋肉組織がよく見えるよう、普段より水分を控えます。競技会当日の選手たちは、外見は強そうですが、実際は栄養が枯渇して最も弱い状態です。
旅路を行く力
クリスチャンとして生きることについて教える寓話「恐れのない国へ」は、ハバクク書3章19節に基づいています。羊飼いと旅に出た主人公は、ひどく不安で「自分を担いでください」と羊飼いに頼みます。しかし、羊飼いは「それは簡単ですが、自分で登らないと、雌鹿のように足を鍛えて私の相棒としてついてくることはできませんよ」と答えます。
信頼を学ぶ
母はいつも「神を信頼しなさい。面倒を見てくださるから…」と言いましたが、高校生の頃の私は「母さん、そんなに単純じゃないよ。天は自らを助くるものを助くと言うだろう!」と言い返したものです。しかし、聖書には「神は自らを助くるものを助く」という言葉はありません。むしろ、日々の必要を神に頼りなさいと教えます。イエスは言われました。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも(1時間でも)延ばすことができますか」(マタ6:26-27)。
永遠の幸福
やりたいようにやるという生き方で幸福になれると聞きますが、それは間違いです。その考え方は、虚しさや不安、苦悩を生むだけです。詩人のW.H.オーデンは、快楽の中に逃げ場を探す人々を観察し、「お化けの森に迷ってしまった、夜を怖がる子ども、決して幸せにも善良にもなれない」と書いています。