Category  |  神を信頼する

神が私を強くする

サッカー選手のクリスチャン・プリシッチは、選手生命を脅かすようなけがを何度もしました。チャンピオンズリーグ準決勝の先発メンバーに選ばれず落胆していた時に、神がご自身を現してくださったと言います。「いつもどおり、神に助けを求めると、神は力を下さいました。私はいつも主が共におられるように感じます。その感覚無しに何かをするなど考えられません」と語りました。プリシッチ選手は結局、途中出場し、彼の巧みなプレーで勝利に貢献し、チームは決勝戦に出場しました。彼はここから貴重な教訓を得ました。それは、自分の弱さは、神が計り知れない御力を現される機会となる、というものです。

神の御前に静まる

人間が初めて写真に写ったのは1838年のことです。それは、昼下がりの閑散としたパリの大通りに立つ1人の人で、撮影したのは写真家のルイ・ダゲールです。それは不思議な光景でした。なぜなら、その時間帯には、街は馬車や徒歩の人々で溢れていたはずだからです。実際、撮影場所のタンプル大通りは、いつもと変わらず、人や馬車で賑わっていました。しかし、それらは写真に写っていません。というのも、当時のダゲレオタイプという技法の露光時間は7分でした。その間、静止しているものだけが被写体になります。歩道にじっと立って靴を磨いてもらっていた男性だけが、ダゲールの写真に写り込んだのです。

神の力強い臨在

性別を理由に投票を否定することを禁じるアメリカ合衆国憲法修正19条の批准から100周年を記念する2020年、「主はみことばを与えてくださる。良き知らせを告げる女たちは大きな群れ」という詩篇68篇11節が刺しゅうされた旗を掲げて行進する人たちの古い写真が公開されました。

神に耳を傾ける

自宅と大学の間は退屈な砂漠でした。真っ直ぐな道が延々と続くので、気付かずにスピードが出過ぎてしまうことがありました。最初は、交通警察から警告され、2度目は違反切符を切られました。そして、全く同じ場所で、再度の切符を切られたのです。

この愛は本物

足元をすくわれるとはこのことです。婚約者の裏切りが分かったのです。その前の恋人も不実でした。ですから、初めてのバイブルスタディーで、神は愛だと聞くと、ジョジーは「これも詐欺かしら」と思いました。信じたら、また傷つくのではないかしらと。

喜ぶ愛

ブレンダンとケイティは見つめ合ってほほ笑みました。新型コロナウィルス感染症に起因する行動制限のために、結婚式は大幅な変更を余儀なくされました。出席者は親族25人だけです。しかし、2人の喜びに溢れた姿からは、ここまでの道のりがどれほど大変だったかをうかがい知ることはできません。2人は、愛と平安に満たされ、結婚の誓約と、支えてくださった神に対する感謝を述べました。

追い詰められた

昔、友人が、複雑に入り組んだ交差点で立ち往生した話をしてくれました。「そんな場所は見たこともないし、教えられた交通規則は通用しそうもなかったし、すごく怖かったの。それで、交差点の角っこの道端に立って、バスが来たときに『向こう側まで乗せてってもらえませんか』って、運転手さんに頼んだのよ。そこを渡ることに慣れるまでにずいぶんかかったわ。歩いて渡るのも、車で通るのもね」

スタミナ切れ

看護師の友人が「これ以上はもう無理」と涙ながらに訴えました。「自分は看護師に召されたと信じているけれど、もう精神的に参ってしまった」と言いました。新型コロナウイルス感染症がまん延する混乱の中で働き続け、絶望感に圧倒されていたのです。私は友人の疲れ切った顔を見て言いました。「無力さを感じているのね。それなら、神にもらった志を貫く力と、どこに進むべきかという神の導きを祈りましょう」。彼女は即、一般的な祈りではなく、真剣に具体的に祈りました。そして程なく、新たな目的意識を得て、元気を取り戻しました。神は彼女に看護の仕事を続ける気力や体力だけでなく、国中の病院を回ってより多くの患者に仕える強い力を下さいました。

救いの御手

ブロガーのボニー・グレイは、嵐のような悲しみに囚われたと語ります。最高に幸せだった時期に、突然、理由もなく、パニックや抑うつ感に襲われたのです。何とかしようといろいろと試してみましたが、やがて、その状況に1人で立ち向かえるほど自分は強くないと悟りました。彼女は次のように語ります。「あの抑うつ感が去るように、誰にも何も言わず1人で祈りました。信仰が弱いなどと言われるのが嫌だったからです。しかし、神は、痛みから目を逸らさせたり、自分で自分を責めたりさせたいとは思っておられません。私たちを癒やされたいのです」。彼女は、神の臨在に慰められ、癒やされていきました。神は、逆巻く大波から守ってくれるいかりでした。