負債を棒引きにするお方
私は医療費の請求書を見て涙をこらえました。夫は長期の失業の後、仕事についたものの給料を大幅にカットされ、この請求の半分だけを精算するにも、月賦払いにしてもらわなくてはなりません。私は祈り、病院に電話しました。そして状況を説明すると、少し待たされた後、主治医が請求をゼロにしたと告げられました。私は涙声でお礼を言いました。寛大な処置に圧倒され、電話を切ると、神を賛美しました。そして、神のあわれみを忘れないために請求書を取っておこうと思いました。
再出発
クリスマスが終わって年末が近づくと、新しい年について考えます。子どもたちが冬休みに入って生活のペースがゆっくりしてくると、その年に起こったこと、来年の目標について思い巡らします。自分の失敗を思い出し、心が痛んだり、後悔したりもします。しかし、新しい年を迎えると思うと、やはり期待に胸が膨らみます。去年はどうであれ、再出発のときだと感じるからです。
きれいにされる
食器洗い機を開けると、どうしたことでしょう。きれいなお皿ではなく、粉まみれの食器が並んでいます。水道に問題が発生したのでしょうか。それとも食器洗い機が壊れたのかしら。
罪は赦された
子どもの頃、友だちを誘って近所のギフトショプに行きました。すると彼女は、クレヨン形の髪留めをつかんで私のポケットに押込み、店の外に引っ張り出したのです。私は罪の意識に一週間苦しみ、ついに母に泣いて打ち明けました。私は友だちに逆らえなかったことを後悔し、盗んだ品物を返して謝り、二度と万引きをしないと誓いました。店の人は二度と来るなと言いましたが、母は赦してくれました。過ちを正すために最善を尽くしたと母が言ってくれたので、私は安心して床につきました。
赦された!
友人のノム・クックは時々、仕事から帰るや否や「君たちは赦された!」と玄関で叫んで家族を驚かせます。誰かが彼に悪いことをしたのではありません。今日も何か罪を犯しただろうけれど、それは神のあわれみによって赦された、そのことを家族で確認しようという訳です。
レッテル貼りを越えて
私の町にユニークな新来者カードを配る教会があります。「もしも、あなたが…聖者、罪人、失敗者、成功者、依存症患者、偽善者、うそつき、臆病者、嫌われ者…等々ならば、大歓迎いたします」と書かれているのです。これは神の愛と恩寵を正しく表しています。牧師は「私たちは毎週の礼拝で、このカードをみんなで音読します」と言いました。
花を咲かせるとき
昨年の春、裏庭のバラの茂みを切ってしまおうと決めました。この家に住んで3年、ほとんど花をつけない上に枝が伸び放題です。ところが、忙しくて実行できないでいるとすごい勢いで咲き始め甘い香りを放ちました。
指輪と恵み
自分の手を見ると、婚約指輪と結婚指輪を失くしてしまったのだと改めて悲しくなります。別のこともしながら旅の支度をしていて、気づいたら指輪がありません。どこに消えたのか未だに全く分かりません。
間違いが起こった
社長は自分の会社の違法行為について「間違いが起こった」と言って謝罪しました。彼は申し訳なさそうにしていましたが、それでもどこか他人事のようで、自分が悪いことをしたとは言いませんでした。