指輪と恵み
自分の手を見ると、婚約指輪と結婚指輪を失くしてしまったのだと改めて悲しくなります。別のこともしながら旅の支度をしていて、気づいたら指輪がありません。どこに消えたのか未だに全く分かりません。
間違いが起こった
社長は自分の会社の違法行為について「間違いが起こった」と言って謝罪しました。彼は申し訳なさそうにしていましたが、それでもどこか他人事のようで、自分が悪いことをしたとは言いませんでした。
透明人間になる指輪
ギリシャの哲学者プラトン(BC427-BC348)は、架空の話を使って、人の心の闇について考えました。それは、地下深くに隠されていた金の指輪を、偶然に見つけた羊飼いの話です。山の中腹にあった古代の墓が巨大地震によって開かれ、羊飼いが金の指輪を見つけます。そればかりか、その指輪をはめれば、透明人間になれることも分かりました。そこで、プラトンはこう問いかけます。絶対に見つからず、罰を受けることもないという状況で、悪いことをしてみたいという思いを抑えられるだろうか。
小さな嘘と子猫
生まれたての子猫のベッドから4歳の息子が飛びのいたので、ママは「触ったの?」と尋ねました。猫を触ってはダメだと言ってあったからです。「触ってない!」と真顔で答えるので、ママは別の質問をしました。「柔らかかった?」すると息子は「うん、黒いのがミャーって鳴いたよ」と白状しました。
弁護人
フロリダ州の刑務所で服役中だったクラレンス•アール•ギデオンは、冤罪を晴らすために1962年6月、連邦最高裁判所に再審を求める嘆願書を提出しましたが、弁護士を雇う財力がない旨も、申し添えておきました。
語る木
キリスト信仰を表す最も古い英語の古典に、「ルードの夢」という詩があります。「ルード」は棒や柱を表す英語の古語で、キリストが架けられた十字架を意味します。この古い詩は、木の側から見たキリストの十字架を語っています。木は、神の御子を殺すために自分が使われると知り、そんなことはいやだと言います。しかしキリストは、信じるすべての人に救いを得させるために、協力して欲しいと木に言われたのです。
罪ある人間そのもの
英国の作家イーヴリン•ウォーは、言葉づかいの悪さで人柄が分かるような人でした。やがてキリスト者になりますが戦いは続き、ある日、「そんな態度でクリスチャンだと言えるのですか」と言われました。すると彼は、「私はひどいかもしれません。でも、信仰がなければ、人間以下だったでしょう」と答えました。
神に耳を傾ける
幼い息子は私の声を聞くのが好きですが、大きな声で「どこにいるの?」と厳しく問いかけるなら、話は別です。それは大抵、息子がいたずらをしたりして隠れている時ですが、私は息子が心配ですし、怪我をして欲しくないので、ママの声に耳を傾けて欲しいと思っています。
別の側面
聖会の主題は「私の民を慰めよ」で、各講師は安心を保証するメッセージを語りました。しかし、最後に奉仕した講師は、「目を覚ませ」と題して、まったく語調の違うメッセージを語りました。優しい態度ながらも言葉を濁さず、エレミヤ書7章1~11節から、目を覚まして罪を離れなさいと語ったのです。彼は、「私たちは、自分は神に愛されている。だから悪を恐れないと言いながら、様々な悪を行います…神の恵みに隠れて密かに罪を続けてはいけません」と、預言者エレミヤのように忠告しました。