Category  |  賜物

自分以外の人のために

昔、ギターが上手な教会の人を褒めた時、彼は「ありがとう。これが僕のミニストリーだから」と言いました。またこの言葉です。私は「ミニストリーって何?どうやって自分のミニストリーを持つの?」と思いました。しかし、彼は楽器が弾けるので、その技術を他の人のために使っている、単にそういうことだと分かりました。その後、私は人を元気にする才能があると気付きました。教会のメンバーに電話をして話を聞いたり、メッセージを送ったりすると、こちらも温かい気持ちになるのです。華々しさのない賜物で、少しがっかりしました。けれども、私は、それが賜物とは分からない時分から、賜物を使っていたのです。

キリスト者同士の協力

ニューヨーク市のブルックリン橋の建設は1869年に始まりましたが、主任技師ワシントン・ローブリングが、重病に倒れました。彼の妻エミリーは、夫の設計図・仕様書を含む一切の計画書を懸命に理解し、必要な修正を加え、助手たちに指示を出しました。エミリーは全力を尽くして夫を助け、1883年に橋が開通すると、馬車で最初に渡りました。夫は彼女の「卓越した才能」と「工事と工学的計画に関する深い理解」を称賛しました。

得意分野

ベートーベンは、世界で最も称賛されている作曲家の一人です。まもなく没後200年となりますが、その作品は各地で演奏されています。しかし、ベートーベンのDNA分析がなされた結果、大方の予想に反し、特別な素質を持って生まれたわけではなさそうだと判明しました。リズム感のある人14500人のデータと比較すると、彼のスコアは驚くほど低いものでした。

自分の持ち場

リサはろう者たちを前に『ミュージカル:ピルグリム(巡礼者)』を手話で通訳しました。このミュージカルは、ある男性の信仰の旅路を描いたジョン・バニヤン著の『天路歴程』を土台にした感動的な物語で、リサの通訳も素晴らしいものでした。彼女に『ピルグリム』の公演に関わり手話通訳をする理由を尋ねると、どんな人でも自分の言語で福音を聞くべきだと思うからだと述べ、「ろう者は周縁化されがちです。福音を聞いたことがあるろう者は、世界のろう者の2%に過ぎません。本当に心が痛みます」と語りました。

時宜にかなって仕える

マークはケイラブの信仰と生活面の成長のために、何年も自発的に彼に関わってきました。ところが、牧師がケイラブの指導役に他の人を任命し、「ついにケイラブに相談相手ができた」と発言しました。それを知ったマークは、「長年、僕がしてきたことは何だったんだ?」とがくぜんとしました。報酬とか承認を求めていたわけではありません。けれども傷つきました。

弱さが生み出す美

画家のドガは網膜の病気を患い、視力が低下すると、油彩画よりもはっきり見えるパステル画を描きました。ルノワールは、関節リウマチで指が湾曲し硬直すると、その間に筆を固定して描き続けました。マティスは、手術して動けなくなると、壁に大きな紙を広げさせ、切った色紙を指示どおり貼らせ、「切り紙絵」を作りました。どの場合も、画法の創造性を躍進させました。ドガの『青い踊り子たち』、ルノワールの『ピアノに寄る少女たち』、マティスの『王の悲しみ』などの傑作は、彼らが試練に適応する中で生まれました。

神に賜った才や業

ヴァン・クライバーンやウラディミール・ホロヴィッツのような超一流のピアニストは、ニューヨークのスタインウェイ&サンズの主任コンサート調律師、フランツ・モアを頼りにしていました。彼のピアノの調律は完璧だったからです。モアは、その長年の経験と知識から、多くの有名ピアニストに慕われました。また、調律の技術は、自分が神に仕える手段だと信じ、自身の信仰をピアニストや公演スタッフたちに語ることもありました。

良い行いの器

公衆の面前で大胆にも人を襲った理由を尋ねると、逮捕された犯人の返答は衝撃的でした。「誰も動かないと分かっていた。人は決して何もしないんだ」。彼は、犯罪を見て見ぬ振りをする人について述べています。使徒ヤコブに罪の黙認に関する見解を尋ねるなら、次のようになるでしょう。「こういうわけで、なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人には罪です」(ヤコ4:17)

真摯に祈る

友人のルーは、ブルガリアのある村で高齢の女性から「あなたのために50年間、祈ってきました」と言われ、深い感謝のまなざしで彼女を見つめました。彼の父は、10代になるまでその村で暮らしました。彼女は隣の家に住むキリスト者で、ルーの誕生の知らせを聞くやいなや、彼のために祈り始めたと言います。半世紀以上が経ち、ルーは仕事でその村に来ました。そして自分の信仰について話したところ、彼女が近づいて来たのです。彼は、自分の救いと彼女の忍耐強い祈りについて思いを巡らせました。信仰を持ったのは、30歳近くになってからだったのです。