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和解とへりくだり

子どもの頃、隣町に親戚が住んでいましたが、私の家族とは疎遠でした。食料品店で会っても知らん顔。私たちは当時、教会に行っていなかったので、いとこたちは、そういう人間とは付き合うなと親に言われていました。それで、後年、私の長兄の葬儀に、いとこの一人が来てくれた時は驚きました。彼は、私たち一人一人に謙虚に謝ってくれました。私たちの関係は、ここから修復に向かいました。

交換してもらう

エリヤは、誤って10ドル紙幣を破ってしまいましたが、父は叱らずに、新しいお札と交換してあげようと言いました。「なぜ?」と尋ねると、「一つは、君が僕の息子だから。そして、それがイエス様にしてもらったことだから。イエス様は、天から来られて、ご自分の命を僕たちの命と交換してくださった。今、僕たちは新しい命を生きている。それを忘れないようにするためだ」

御手は必ず届く

少女は16歳で懲役50年の判決を受け、刑務所の独房に収監されました。他の受刑者との接触も許されず、1年近く面会者もありません。刑務所は、教誨師(きょうかいし)の面会を許可しました。少女は、福音を聞いてイエスを受け入れ、洗礼を望みました。教誨師はビンの水で洗礼するつもりでしたが、刑務所の職員が厳戒態勢を敷き、彼女を移動式の洗礼層に誘導しました。神を信じる人々が祈る中、彼女は涙を流しました。

神の憐れみで生き残った人々

チャールズ・ジョーキンは11歳で船乗りになり、船上のパン職人として経験を積み、1912年に、イギリスの豪華客船に雇われました。その船、タイタニック号は、北大西洋で氷山に衝突しました。彼は、乗客を避難誘導し、自らは、垂直に沈む船尾のてっぺんに立ちました。そして奇跡的に救助されました。30年後の第二次世界大戦では、オレゴン号の乗組員になりましたが、この船も海難事故で沈没しました。しかし、彼は再び生還しました。

広い心を与えられた

アウグスティヌスは、宇宙を創造された神が、自分のような者と関わられるなどあるはずはと苦悩しました。罪にまみれた卑しく小さい自分などに。しかし、彼は必死に祈りました。「わたしの魂の家は、あなたが魂のもとへ入ってこられるためには狭いので、あなたのみ手でそれを広げてください。それは、荒れはてているので、それをつくり直してください。あなたの目ざわりになるものがある。わたしは告白し、知っている。しかし、だれがわたしの家を清めるであろうか。また、あなた以外のだれに向かって、わたしは叫ぶであろうか」(岩波文庫『聖アウグスティヌス告白上』)

パパが連れて行ってくれる

社長のアンドレスは、営業成績の優秀な社員に日帰り旅行をプレゼントしました。彼自身も7歳の息子のジミーを連れて同行します。ジミーは胸を躍らせ父と手をつないでいました。ある社員が冗談で「君も行くのかい。売上はどうだった?」と尋ねました。するとジミーは父親を見て答えました。「ゼロ。でもパパが連れて行ってくれる」。この少年は稼がなくても大丈夫。父親が旅費を払ってくれたからです。

神の赦し

イスラエルのヘクト博物館で、4歳の少年が展示品を誤って割ってしまいました。3500年前の青銅器時代の珍しいつぼです。ところが何の弁償も要求されず、つぼの修復後、博物館に招待されました。同館のロイー・シャフィール氏は、この寛大さの理由を、修復作業に対する世界の関心を高め、少年の歴史と考古学に対する関心に寄与する可能性があるから、と説明しました。何らかの前向きな結果に対する期待です。

神に戻る道

駐車場の急なスロープを下っていくと不安になりました。ここは迷路のような駐車場で、以前、迷子になったことがあります。しかし、車を降りて、ある方向に歩き始めると、「大丈夫!」と、落ち着くことができました。正しいドアに行きつき、それを開けると目的の場所に行くエレベーターを見つけました。そして無事に到着しました。

赦しの祈り

アメリカ南部の白人だけの公立小学校に1960年、アフリカ系アメリカ人の児童、6歳のルビー・ブリッジが入学しました。彼女は罵声や脅し、中傷の中を毎日、連邦保安官に付き添われて登校しました。学校の中は安全でしたが、教室ではバーバラ・ヘンリ先生とふたりきりでした。他の教師たちは彼女を教えること、児童の親たちは、我が子を登校させることを拒否したからです。