完全なる不完全
完成をズルズル引き伸ばす癖のある私に、大学の恩師が「完璧を『良し』の敵にしてはいけない」と忠告してくれました。完璧を求める余り失敗を恐れ、成長に必要なリスクさえ回避しがちになるのは賢明ではありません。自分の作品には常に改善点があることを受け入れるなら、成長しつづける自由を手にします。
どうしても無理
山上の説教を読むと「どうしても無理!」と感じます。自分の敵を愛する(マタ5:44)、腹を立てるのは殺人と同じ(22節)、情欲は姦淫に等しい(28節)、極めつけは「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」(48節)という命令です。オズワルド・チェンバーズは、山上の説教は絶望をもたらすが、それは良いと言いました。なぜなら、絶望した時こそ、何も持たない者としてイエスに近づけるからです。
解放される
村の子だった私は、鶏の習性を知っていました。鶏を捕まえて押さえ、その後ゆっくり放すと、鶏は逃げられるのに、うずくまったまま動きません。まだ捕まっていると思い込んでいるのです。
混乱の中の祝福
自業自得だから、自分で何とかしなければと思うことがあります。神のあわれみを信じていても、神が助けてくださるのは、私に落度のないときだけだと考えてしまいがちです。しかし、そうでないことは、ヤコブが初めて神と出会ったときの様子から分かります。
乳歯が生えかわるとき
妻から最近、ラブラドールレトリバーをプレゼントされ、「マックス」と名付けました。ある日、私が書斎で仕事に集中していると、背後で紙の破れる音がしました。振り返ると、大きく開いた本があり、後ろめたそうな表情の仔犬が口からページを垂らしていました。
神が働かれる
神が働いておられると最近感じたのはいつかと友人たちに尋ねると、ある人は「毎朝、聖書を読むとき。新しい一日が始まるとき。あらゆる局面で共におられ、一歩一歩導いてくださるとき。問題に遭遇しても喜びを失わず乗り越えようと頑張れるとき」と答えました。私は彼女の答えが気に入りました。なぜなら、それは、神がみことばと内住の聖霊を通して、神を愛する人のそばにおられ、その人の人生に働かれていることを述べていたからです。
実地訓練
サイエンスキャンプの引率者として奉仕して欲しいと息子の先生に頼まれましたが、生徒たちの模範になれないと思ってちゅうちょしました。私は神のおかげで、息子を愛して育てることができましたが、他人のために用いられる器ではないと思っていたからです。しかし、神は時と共に人の心と人生を変えてくださる唯一のお方です。私は聖霊の促しによって、使徒パウロが信仰の実地訓練だとテモテを励ました言葉を思い出しました。
父に似る
私は父の履き込んだカウボーイブーツを書斎に置いて、彼の人柄を常に心に留めています。父は他のことに加えて、馬の飼育と調教をしていました。少年の頃、私は父に憧れ、父のようになりたいと思っていました。80代になった今でも、まだ父には及ばないと感じます。その父は今、天国にいます。
変化
見出しに「内から変わるか、外から変わるか」と書かれていました。外見を変えることで気持ちが変化し、人生さえ変えてくれるという人気の考え方が読み取れます。