神の季節
最近「冬ごもり」という言葉に助けられました。冬は自然の営みが静止したかのようですが、人生にも冬があり、休息と回復の時だと、作家キャサリン・メイが述べています。私は父をがんで亡くし、力が抜けて何カ月も戻らず、人生の停滞に焦っていました。私は夏の力が戻るように祈っていましたが、学ぶべきことがあると悟りました。
神の御手の中に
娘が18歳になりました。法律で成人と認められ選挙権も得ました。間もなく高校を卒業して大人の人生を歩み始めます。そんな今、私は切迫感にかられます。彼女に大人として生きていくために大切なこと、例えば、お金の管理の仕方、世界の諸問題に目を向ける、賢明な判断の方法、などを教えてやれる同居の期間はあまり残されていないからです。
小さいけれども偉大
ある大学の水泳選手はオリンピックを目指していましたが、タイムが上がらなくて不安でした。しかし、数学の教授、ケン・オノが彼女の泳ぎを観察して、タイムを6秒縮める方法を考えました。6秒とはオリンピックを目指すレベルでは相当な違いです。彼は選手の背中にセンサーをつけましたが、彼女の泳ぎを大きく変えるのではなく、小さな矯正をすれば、より効率的な水中の動作が可能になると明らかにしました。
軌道修正
軽トラックが割り込んできて、思わず「あーっ」と叫びました。その時、運転マナー通報ダイヤルの番号が目に飛び込んできました。私はすぐに電話をかけ、要件を聞かれると、不満をぶつけました。電話口の女性は軽トラックのナンバーを尋ねた後、疲れた声で言いました。「マナーの良いドライバーに関する通報もお待ちしております」
雑草を育てる
この春、庭の雑草が伸びてひどいことになりました。特に1本はとても大きく、無理に引き抜こうとすると腰を痛めると思いました。そこで、すきを取って戻ってくると、娘が水をやっているではありませんか。「なんで雑草に水をやるんだ?!」と叫ぶと、彼女はニンマリ笑って 「どれくらい大きくなるか見たいもの」と言いました。
イエスを信じて前進する
林をランニング中、近道を見つけようと別の道に入りました。迷子になったかと思って、向こうから来た人にこの道で大丈夫かと尋ねると、「大丈夫!」という答え。そして、けげんな面持ちの私を見て、こうつけ足しました。「心配ないよ。僕は間違ったルートは全部試した。でも大丈夫。それが走ることだから」
イエスの元に走る
パリを旅行中、ベンと友人たちはある美術館に行きました。ベンの専攻は美術ではありませんでしたが、ウジェーヌ・ビュルナンの『復活の朝、墓へと走る使徒ペテロとヨハネ』を見て畏敬の念を抱きました。ペテロとヨハネの表情や手の位置は、言葉は無くても多くを物語っています。彼らの立場になって、その心の興奮を感じなさいと鑑賞する人々に呼びかけています。
霊の刷新
中医学では、真珠粉を使った角質ケアが何千年も行われてきました。ルーマニアでは若返り効果をうたう泥パックが人気です。世界中の人たちが、たるんだ肌さえよみがえると信じて、ボディケアにいそしんでいます。
結婚に例えると
私たち夫婦は結婚して22年。時々、うまくいっていることが不思議だと思います。私は作家で言葉を、妻は統計学者で、数字を扱います。私は美しさ、彼女は機能性を重視します。妻は待ち合わせに早めに来ますが、私は時々遅れます。美術館に入って20分、私は最初の部屋にいますが、彼女はもう、下のカフェで待っています。そんなわけで、忍耐を学ぶ機会を互いに与え合っています。しかし、共通点もあります。ユーモアを愛し、旅行が好きです。人生の土台は同じ信仰で、選択肢や妥協点を探るべきときは共に祈ります。土台が共通だと違いは益になります。双方の性格の違いを用いることで、私たちは共に成長して来ました。