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私を運んでくださった

最近、大学時代の日記が出てきて、思わず読み返しました。すると、今、自分について感じているように当時は感じていなかったことに気づきました。孤独と葛藤し、信仰に対してもかなり悩んでいました。しかし、今、振り返ってみると、神がより良い状況に私を運んでくださったことが分かります。神があそこから優しく導き出してくださったことを思うなら、今、辛いと感じていることも、やがては、神の癒しの物語の1ページになるはずです。

嘆きのミニストリー

私は姉夫婦を2002年に事故で亡くしました。数か月後、悲しみを通して成長する」と題したワークショップが教会で開かれました。私は友人に誘われて仕方なく参加しましたが、初回だけにするつもりでした。ところが、神と仲間の助けを受けて、大切な人を失った痛みと向き合おうとしている誠実な人たちに出会い、毎週、その会合に引き寄せられました。そして、悲しみを互いに語り合うことで喪失を受け止め、平安を取り戻していきました。

神にささげる

私がまだ10代で大きな困難やハイリスクな決断を迫られて混乱していたとき、物事を書き出して整理して考えることを教えてくれたのは母でした。どの授業を取るべきか、どんな職業に就くべきか、大人の現実の怖さにどう立ち向かうのか…。母はどうすべきか迷うと、分かっている事実、自分に出来る行動、予想し得る結果を書き出していました。私もそれに倣って、思いの丈をノートに書き綴ると、問題から一歩離れて、感情に流されず客観的に物事を見られるようになりました。

ちょっとした楽園

書斎の窓を開くと、鳥のさえずりが聞こえ、そよ風に揺れる木々が見えます。近所の畑には干し草の束がいくつも並び、抜けるような青い空に大きな白い雲が浮かんでいます。私は今、ちょっとした楽園を楽しんでいます。絶え間なく行き交う車の騒音と、腰の痛みを除けばの話ですが…。

御力に頼る

私たち夫婦は近所の男の子アランとハイキングに出かけました。アランが蛇は出るかと尋ねたので、私は「出たことは無いけれど、とにかく神の守りを祈ろう」と言い、一緒に祈りました。歩き始めて数分後、妻が突然、後ずさりしました。前方にとぐろを巻いた毒マムシがいたのです。私たちは蛇が遊歩道を離れて行くのを見送り、ほっと溜息をつきました。そして、何事も無かったことを感謝して祈りました。

貴重な賛美

私は文筆活動で神を礼拝し、神に仕えています。病気で動けなくなってからは、なおさらそうです。ですから、書いた物を酷評されたときは落胆し、自分の小さなささげ物の価値を疑いました。

ひとりで走らないで

夫のジャックは初マラソンをひとりで走り、42キロ地点で力尽きてしまいました。給水場で水を飲んだ後にコース横に座り込むと、数分経っても立ち上がれません。もう棄権しようと思ったとき、ケンタッキー州から参加した中年の教師の二人組がやって来ました。まったく知らない人たちでしたが、一緒に走ろうと声をかけてくれました。すると突然、力がよみがえってきました。ジャックは立ち上がり、ふたりの女性ランナーに付き添われてレースを完走しました。

まばゆいばかりの神の美

オーストラリアのロードハウ島は、透き通った海と白い砂のパラダイスです。数年前に訪れ、その美しさに圧倒されました。ここでは海ガメやヒラアジのような光る魚と一緒に泳ぐことができます。オトメベラがネオンサインのように輝きながら漂っていきます。サンゴ礁には鮮やかなオレンジ色のクマノミや私の手にキスしようと勢いよくやってくる黄色い縞のチョウチョウウオがたわむれています。私はこの壮麗な光景に神をあがめずにはいられませんでした。使徒パウロは、神の本性は素晴らしい自然の中に垣間見えると語りましたが(ロマ1:20)、私はこの驚くべき美の中に神の力とご性質の片鱗を見たのです。

きれいにされる

食器洗い機を開けると、どうしたことでしょう。きれいなお皿ではなく、粉まみれの食器が並んでいます。水道に問題が発生したのでしょうか。それとも食器洗い機が壊れたのかしら。