イエスのために戦う勇気
西暦155年、棄教しなければ火刑だと脅されたポリュカルポスは言いました。「私は86年間、主のしもべだが、主に冷遇されたことはない。それなのに、なぜ今、私を救われた王を冒瀆(ぼうとく)することができようか」。私たちも迫害されたなら、この言葉に奮い立つでしょう。
神の御手は届く
身体検査を受けて所内に入り、面会簿に記名して混雑した待合室の椅子に座りました。ため息をつく大人や駄々をこねる幼い子どもたちを見ながら、私は心の中で祈りました。かなり待たされてから、武装した看守が名簿を読み上げ、部屋に案内されると、指定された椅子に座りました。厚いガラス窓の向こうに継息子が座り受話器を手にしたとき、私は自分の無力さに圧倒されて涙を流しました。しかし、神は慰めてくださいました。彼はまだ、神の御手の届くところにいると。
国々が一つとなる
アメリカとカナダの国境線は水陸合わせて8千800キロメートル以上あり、世界最長です。国境線を明確に示すため、そこから両側に3メートルの幅で木を定期的に伐採します。この細長い伐採地は「スラッシュ」と呼ばれ、8千以上の石碑が点在しており、どこが境界線かは一目瞭然です。
神の御手の中に
娘が18歳になりました。法律で成人と認められ選挙権も得ました。間もなく高校を卒業して大人の人生を歩み始めます。そんな今、私は切迫感にかられます。彼女に大人として生きていくために大切なこと、例えば、お金の管理の仕方、世界の諸問題に目を向ける、賢明な判断の方法、などを教えてやれる同居の期間はあまり残されていないからです。
回復させる神
イタリアのフィレンツェで1966年11月4日に起こった大洪水により、有名なジョルジョ・ヴァザーリの『最後の晩餐』は、泥水と油の中に12時間も放置されました。額縁は損傷し、絵具も浮き出て、絵の修復は不可能に思われました。しかし、専門家とボランティアが、あらゆる障壁を乗り越え、地道な修復作業を50年間続けたことで、この大作は復元されました。
希望を持って
戦線の父の消息が途絶えた時、7歳の妹は母に言いました。「パパは帰ってくるわ。だって花を贈ってくれたもの」。父が出発前に手配していた妹の誕生日の花束が届いたのですが、妹は正しかったのです。父は悲惨な戦闘をくぐり抜けて生還しました。彼女は数十年経った今も、希望を持つことを忘れないように、その花束を生けた花瓶を大切にしています。
聖霊だけができること
聖霊に関する本を書いたドイツの神学者で94歳のモルトマンにインタビューした人が尋ねました。「どうやって聖霊を活性化しますか。薬を飲むのですか。製薬会社がくれるのですか」。モルトマンはニヤリとして、訛りのある英語で答えました。「私は何もしません。聖霊が来るのを待ちます。すると、御霊が来られます」
小さいけれども偉大
ある大学の水泳選手はオリンピックを目指していましたが、タイムが上がらなくて不安でした。しかし、数学の教授、ケン・オノが彼女の泳ぎを観察して、タイムを6秒縮める方法を考えました。6秒とはオリンピックを目指すレベルでは相当な違いです。彼は選手の背中にセンサーをつけましたが、彼女の泳ぎを大きく変えるのではなく、小さな矯正をすれば、より効率的な水中の動作が可能になると明らかにしました。
イエスが答えだ
アインシュタインの愉快な話です。講演ツアーの運転手が、代役ができるほど講義を聴いたと言いました。そこで、アインシュタインは、顔を知られていない次の大学で試してみようと提案しました。運転手は同意し、やり遂げました。しかし質疑応答の時間に手ごわい質問が来ました。すると彼は「貴殿は優秀な教授とお見受けしますのに驚きです。私の運転手でさえ分かる単純なことを質問されるとは」と言い、その運転手、つまりアインシュタインが答えたという架空のお話です。