互いの渇望が満たされる
パスカルは、人の心の中には「無限の深淵」があり、神という無限の存在だけが、そこを埋められると語りました。アウグスティヌスは、「あなたがわたしたちを あなたに向けて創られたからです、そのためわたしたちの心は、あなたのうちに憩うまでは 安らぎをえません」と祈りました。ダビデ王は、砂漠で水を求めるように、私たちの全身全霊は、神を「慕い求める」と語ります(詩63:2)。
神の割り込み
サラは朝、その日にやることを書き出しましたが、家を失った家族にガソリンカードを届けてほしいと急に頼まれました。自分の予定を脇に置いても承諾するのが御心だと思い、教会にカードを取りに出かけると、教会が手配した宿舎はずいぶん遠いと分かりました。サラは「神よ、ガソリン代がかかりすぎます!」と言いました。すると、「君の必要をずっと賄ってきたでしょ?」と、聖霊がささやかれたかに感じました。彼女は、「そうでした。赦(ゆる)してください」と祈りました。そして目的地に着くと、くだんの夫婦にカードを渡し、彼らの赤ちゃんを抱っこさせてもらいました。帰宅の道すがら、神に感謝しました。こんなにシンプルで、こんなに幸せな気分になる奉仕を下さったのですから。
新生の生得権
全米プロバスケットボール(NBA)のチーム、ダラス・マーベリックスのオーナーが、シカゴのスポーツ・トーク番組の司会者に、こう申し出ました。「ダラス・マーベリックス」に改名すれば1500万円支払う、さらに、司会者が支援したい慈善団体にも1500万円寄付する、と。この司会者は、しばらく考えた後、きっぱり断りました。そして「金のためなら何でもすると言っているようで嫌だった。名前は生得権だ。私は品位と信用を保ちたい」と説明しました。
中傷される
強風にあおられて火は燃え広がり、何日も燃え続けました。歴史家タキトゥスは、市民が我が身を守ろうと悲鳴を上げて逃げ惑う、混沌(こんとん)としたローマの様子を記録しています。結局、ローマ市の3分の2近くが焼失しました。皇帝ネロは、キリスト教徒が放火したとうそをつきました。キリスト者を憎んでいたので、災禍の責任をなすりつけようとしたのです。この火災はネロの命令によるものだという噂を払拭するためだったのかもしれません。
主に真摯に従う勇気
紀元155年、迫害が激化する中、司教ポリュカルポスは逮捕されました。信仰を捨てれば命は助かると説得されると、次のように答えました。「私は86年間主に仕えてきましたが主は私に何の悪事もなされませんでした。どうして今私を救ってくださった王を冒涜(ぼうとく)することができるでしょうか」。そして火刑になりました。彼の姿勢は、信仰の厳しい試練に直面した時、私たちを励ましてくれます。
広い心を与えられた
アウグスティヌスは、宇宙を創造された神が、自分のような者と関わられるなどあるはずはと苦悩しました。罪にまみれた卑しく小さい自分などに。しかし、彼は必死に祈りました。「わたしの魂の家は、あなたが魂のもとへ入ってこられるためには狭いので、あなたのみ手でそれを広げてください。それは、荒れはてているので、それをつくり直してください。あなたの目ざわりになるものがある。わたしは告白し、知っている。しかし、だれがわたしの家を清めるであろうか。また、あなた以外のだれに向かって、わたしは叫ぶであろうか」(岩波文庫『聖アウグスティヌス告白上』)
見えざる思いやり
ずっとありましたが、見えませんでした。ジョシュア・レイノルズは、1789年、シェイクスピア劇の登場人物を題材とした『ボーフォート枢機卿の死』を描きました。彼は臨終の男性の背後に「しきりに責め立て、苦しませている悪魔」の顔を描きましたが、それを嫌った人がいたのです。1792年にレイノルズが亡くなると、悪魔の顔は塗りつぶされ、忘れ去られました。ところが最近、文化・自然遺産の保全団体によって、塗り重ねられた絵の具とニスの下にあった部分が修復されました。
神の慰め
食料品の買い出しから夫婦で戻ってきて、ドーナツの袋を必死に探しました。買ったつもりなのに見つかりません。レシートを確認すると買い忘れています。私はイラついて「もう! ドーナツを買いに行ったのに!」と叫びました。15分後、夫がドーナツの袋を手渡してくれました。そっと家を抜け出して、大雪の中、買ってきてくれたのです。私はばつが悪く、彼をハグして、「私のわがままのために事故に遭わなくてよかったわ」と言いました。
神にしがみつく
校区のレスリング大会がありました。8歳以上の子どもたちは、体育館のレスリングマットで相手と組合い、抑えたり、倒したりして、勝利を目指します。レスリングは古代の格闘技で、機転を利かせてタックル、エスケープ、ピンなど、ポイントが入る技術を組み合わせます。ある3年生の少女が、観客を沸かせていました。彼女は俊敏な動きと巧みな戦術で相手を翻弄(ほんろう)し、次々と勝利を収めていました。