神の気前良さに応える
リディアは匿名で1万ドル(約150万円)を寄付されましたが、自分のためにはほとんど使わず、家族や同僚のために使ったり、被災者支援や慈善団体に気前良く寄付しました。彼女はそうとは知らずに、無条件で1万ドルを受け取った200人の反応を調査する研究に参加していたのです。この調査の結果、贈られたお金の3分の2以上が寄付されたことが分かりました。非営利団体TEDの代表クリス・アンダーソンは、この例を取り上げて「私たち人間は、太っ腹な行為には太っ腹な行為で応えるようにできている」と語りました。
人生を耕す
私たちは砂利道の先の少しぬかるんだ土地に家を建てました。そして、オレゴン州の山麓の環境にマッチする草や木を植えた庭を造ろうとしました。道具を取り出して働き始めると、「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。……また土を耕す人もいなかった」 (創2:5)というみことばが思い浮かびました。
一握りの米
インド北東部のミゾラム州の住民の収入はわずかですが、キリスト者は「一握りの米」と呼ばれる伝統を実践してきました。毎食の準備の際に一握りの米を取り分け、教会に持っていきます。教会も世界水準では貧しい部類に入りますが、数億円相当を世界宣教のために献げ、宣教師を派遣しています。彼らは貧困を脱しつつあり、地域の宣教も進んでいます。
神に希望を託す
ジェレミーは、3年制の大学に入学して、学生寮の最も安い部屋を借りましたが、ひどい所でした。しかし、お金がないのですから、選択の余地はありません。「3年後には快適な実家に帰れるのですから、今は踏ん張ってここでの時間を最大限に活用します」と語りました。
飢えた人たちを救う
何年も厳しい干ばつに苦しむ「アフリカの角」と呼ばれる地域があります。作物は枯れ、家畜は死に、1千万人以上が命の危険にさらされています。この地で戦争や迫害から逃れ、ケニヤのカクマ難民キャンプにたどり着いた人々の状態は悲惨を極めます。最近の報告の一例によると、母親に連れて来られた赤ん坊は極度の栄養不良で、皮膚も毛髪も干からび、笑うことも食べることもできません。小さな体はぐったりしていて、専門医の対応が即刻必要でした。そこは無い無い尽くしでしたが、感謝なことに、生死に関わる事態に備えた体制は整えられていました。
報い
サム・ロディアは、1921年からの33年間、ロサンゼルスのワッツ地区に独力で17の塔を建てました。ミュージシャンのジェリー・ガルシアは、「死んだ後も残るから、報われると思ったんだろうね。でも、僕向きじゃない」と揶揄(やゆ)しました。では、彼にとって、人生の報いとは何だったのでしょう。バンド仲間のボブ・ウィアーは、彼らの哲学を語ります。「誰もが遅かれ早かれ忘れ去られる。だから、今を楽しめばいいさ!」
気前よく与える信仰
数年前、私たちの教会は難民の受け入れを打診されました。何人かの教会員は、それに応じました。中には客間のない家に住んでいる人もいました。
大きな心
妻は週に1度、小学校の聖書クラブでボランティアをしています。ある時、児童たちに寄付の呼びかけがありました。戦時下のウクライナの子どもたちのためです。妻がその話を11歳の孫娘にすると、 1週間後、彼女から封書が届きました。中には「貯金箱の中身全部です。ウクライナの子どもたちにあげてください。後でもっと送ります」というメモと517円が入っていました。
与える喜び
息子が筋ジストロフィーに対応する再度の手術を受けようという時、母親のケリーは、そのことに心が囚われないように、人のために何かしようと思いました。それで、小さい頃の息子の靴で状態の良いものを集めると、家族や親族、友人や近所の人たちも賛同し、200足以上の靴を寄付することができました。ケリーの目的は他の人を祝福することでしたが、結局、自分たちが一番祝福されたと感じました。「この活動を通して、内向きになることから解放され、本当に元気づけられました」と語ります。