真に生きる
米国のエド・ドブソン牧師がALSと診断されると、非常に多くの人が彼の癒やしを祈り、信じて祈ればすぐに癒やされると思っていました。しかし、進行性の病気と闘い続けて12年、亡くなる3年前のことです。ある人が「なぜ癒やされないと思いますか」と尋ねました。彼は言いました。「それは健全な答えのない質問です。ですから、私は問いません」。妻ローナも「答えを求めることに執着すると、真に生きることはできません」と言いました。
心配という雑草を抜く
庭のプランターに2、3の種をまいて、水をやるたびに良く観察し、発芽を心待ちにしていました。10日から2週間で芽を出すとのことで、少し経つと、2、3枚の緑色の葉っぱが土から顔を出しました。ところが、それは雑草だと夫が言うので、私のワクワク感は消えてしまいました。肝心の植物の成長を守るために雑草はすぐに抜かなければなりません。
私の必要は主が賄う
マニラの乗合タクシーの運転手ランドは、道端の屋台でコーヒーを一気に飲みました。コロナによるロックダウンは終わり、通勤客が戻ってきました。今日のスポーツイベントは稼ぎ時です。失った収入を取り戻せる、もう心配しなくていいのだ、と思いました。
私の神はすぐそばに
ルーデスはマニラのボイストレーナーです。授業は30年以上対面だったので、オンラインに移行すると言われて心配でした。「私はメカには弱いし、うちのパソコンは古い。ビデオ会議のソフトのこともあまり知らない……」。大儀ない人もいるでしょうが、彼女には大問題でした。「一人暮らしの私には、そばで助けてくれる人もいない。収入が必要なのに、やめる生徒がいるかもしれない」と不安でした。
心地よい眠り
友人のフロスは、眠れない夜には賛美歌「主よ、わが主よ」の歌詞を思い巡らします。彼女はそれを「真夜中の賛歌」と呼びます。神の約束や神を愛する数々の理由を思い起こさせてくれるからです。
人の心の必要を尊重する
新型コロナウイルスの蔓延で外出を控える人が増えましたが、私は、水泳は大丈夫だと思っていました。しかし妻は、プールでウイルスをもらって高齢の姑にうつすかもしれないと心配しました。高齢者は重症化リスクがより高いそうです。彼女は、しばらく水泳をやめてもらえないかしらと言いました。
信頼を学ぶ
母はいつも「神を信頼しなさい。面倒を見てくださるから…」と言いましたが、高校生の頃の私は「母さん、そんなに単純じゃないよ。天は自らを助くるものを助くと言うだろう!」と言い返したものです。しかし、聖書には「神は自らを助くるものを助く」という言葉はありません。むしろ、日々の必要を神に頼りなさいと教えます。イエスは言われました。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも(1時間でも)延ばすことができますか」(マタ6:26-27)。
不安が落ち着く
私は心配性です。ほぼ毎日心配しています。大きなことも小さなことも、何でも心配している気がします。10代の頃、両親が予定を4時間過ぎても帰宅しないと言って警察に電話したことさえあります。
寝付けない夜
最近、よく眠れません。何度も寝返りを打ち、何とかしようとしますが上手くいきません。次第に、次の日の仕事に影響すると不安になってきます。あなたにも似た経験がありませんか。人間関係や将来の不安など、人は時に、思い悩む生き物です。