敵を愛する
南北戦争の終結後、戦いが憎しみを生んだがゆえに南部を寛大に扱うべきだ、とリンカーン大統領は言いました。理由を尋ねられると、「敵を友とするなら、敵という存在は消滅するのです」と答えました。約100年後、公民権運動指導者キング牧師はこの言葉を取り上げ、「これは贖(あがな)いの愛の力だ」と語りました。
隣人を愛しなさい
日曜学校でゲームをしました。隣人を取り替えず、今、隣にいる人を愛することを学ぶゲームです。まず、皆が大きな輪になって座り、1人だけが輪の中央に立ちます。立っている人は座っている人に「あなたは隣り人を愛しますか」と尋ねます。聞かれた人は「はい」か「いいえ」で答えて、自分の隣の人を別の人に交換するかどうかを決めるのです。
新しい視点を持つ
人気を博したビデオゲームは、仮想の島に100人のプレーヤーを集め、最後のひとりになるまで戦うというものです。そして、自分が殺されてしまうと、自分を殺した人の立場でゲームを見つづけます。ところが、その立場になると、自分の感情が、負けたくやしさから相手に対する連帯感に変わり、つい先程まで敵だった人に感情移入するようになるといいます。
恵みに触れられて
レイフ・エンガーの小説「ギボンの月の下で」の登場人物ジェレマイア・ランドは、学校の用務員で、3人の子どもを男手で育てています。彼は奇跡の信仰の持ち主ですが、その深い信仰は随所で試されます。
敵を愛する
朝鮮戦争が1950年に勃発すると、15歳のキム・チン・ギョンは故郷を守るために韓国陸軍に入隊しました。しかしすぐに、戦争の恐怖と向き合う心の準備がなかったことに気づきました。彼は同僚たちが死んでいく中、もし生きて帰れたら敵を愛しますと約束して、神に命乞いをしました。
アビガイルの嘆願
ダビデは、協力を拒否して無礼を働いたナバルを探し出すため、部下400人とともに出陣しました。途中でナバルの妻アビガイルに会わなかったら、ナバルを殺していたでしょう。アビガイルは惨事を食い止めようと、ダビデの兵士を養うに十分な食料を携えて、彼に会いに出かけました。そして、復讐を実行したなら罪悪感に悩まされるだけだと、礼を尽くして説得しました(Ⅰサム25:31)。ダビデは、彼女が正しいと納得して、その良い判断をほめました。
喜ぶべきでない
ガーナのアカン族には、「トカゲは、石を投げつける子も、そばで面白がって見ている子も、等しく大嫌い」ということわざがあります。他人の不幸を喜ぶ人は、その不幸の原因を作った人と同じであり、更なる不幸を望んでいる人と同じだといいます。